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静岡地方裁判所 昭和49年(ワ)402号 判決

原告兼亡天野四三男承継人原告

水谷奈穂美

外一二名

右一三名訴訟代理人弁護士

小長井良浩

被告

静岡鉄道株式会社

右代表者代表取締役

川井祐一

右訴訟代理人弁護士

奥野兼宏

猿山達郎

西吉健夫

被告

静岡県

右代表者県知事

斉藤滋与史

右訴訟代理人弁護士

廣瀬清久

主文

一  被告静岡鉄道株式会社に対する請求について

1  被告静岡鉄道株式会社は、原告らに対し、各原告に対応する別紙認容金額目録記載の各金員及びこれに対する昭和四九年七月八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、これを三分し、その一を被告静岡鉄道株式会社の、その余を原告らの各負担とする。

4  この判決は、主文第1項に限り、仮に執行することができる。

二  被告静岡県に対する請求について

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

以下、被告静岡鉄道株式会社を「被告会社」と、被告静岡県を「被告県」という。

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告らに対し、別紙請求金額目録記載の金員及びこれに対する昭和四九年七月八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告会社)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は、原告らの負担とする。

(被告県)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は、原告らの負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告水谷知生(以下「原告知生」という。)は、亡水谷智子「以下「亡智子」という。)の夫である。原告水谷奈穂美(以下「原告奈穂美」という。)及び原告水谷夕佳里(以下「原告夕佳里」という。)は、亡智子と原告知生との間の子である。

原告天野やよい(以下「原告やよい」という。)は、亡天野隆久(以下「亡隆久」という。)の妻であり、原告天野裕子(以下「原告裕子」という。)は、亡隆久と原告やよいの子である。

亡天野四三男(以下「亡四三男」という。)は、亡天野喜代子(以下「亡喜代子」という。)の夫であり、昭和五三年一〇月三〇日死亡した。原告天野恭志(以下「原告恭志」という。)は、亡喜代子と亡四三男との間の子である。

亡大村惠美(以下「亡惠美」という。)は、亡岡村ひさ(以下「亡ひさ」という。)の妹であって、昭和五五年六月二一日死亡した。原告大村巖(以下「原告巖」という。)は、亡惠美の夫であり、原告久住呂明子(以下「原告明子」という。)及び原告大村宏之(以下(「原告宏之」という。)は、亡惠美と原告巖の間の子である。

原告岡村萬吉(以下「原告萬吉」という。)は、亡岡村かう(以下「亡かう」という。)の子であって、亡ひさの兄弟である。原告岡村邦彦(以下「原告邦彦」という。)及び原告楊井厚子(以下「原告厚子」という。)は、亡かうの孫であって、亡ひさの甥、姪である。

原告橋本臣尉「以下「原告臣尉」という。)は、亡橋本音吉(以下「亡音吉」という。)の子である。

(二) 被告ら

被告会社は、静岡市に本店を置き、鉄道事業、バス事業、索道事業、観光事業等を営む株式会社である。

被告県は、住民の安全、健康及び福祉を保持し、治山、治水及び防災等の事務を処理する地方公共団体である。

2  本件リフトの設置状況

(一) 本件リフトの建設

被告会社は、名古屋陸運局より、昭和三四年リフト(甲種特殊索道)の事業免許を受け(名鉄一〇四四号)、同三五年工事施工の認可(名鉄陸九六三号)を得て、リフトの建設工事を行い、同年一一月右工事を完成させ、「静鉄浅間山リフト」の名で、昭和四九年七月七日まで運行営業させてきた(以下このリフトを「本件リフト」という。)。

(二) 本件リフトの設置状況

(1) 本件リフトの設備

被告会社が、本件リフトを設置した賤機山は、人家の密集する静岡市街地をほぼ南北に伸びる丘陵である。

本件リフトは、右賤機山南端の浅間神社北東側の「神社口駅」から北々西に尾根づたいに登り、途中向きを北にかえ、標高一一二メートルの「山上駅」に達した。その間、全長三三二メートル、高低差78.5メートルであった。

(2) 本件リフトの用地

本件リフト西側の賤機山の尾根は、静岡市の所有地で、賤機山公園となっている。

本件リフト東側の賤機山東面斜面(以下「本件斜面」という。)は、山林やみかん畑でその傾斜度約四〇度の急峻な斜面である。本件斜面の下方には、原告知生方等人家の密集する市街地が続いている。

本件斜面の基盤岩は、粗面玄武岩で、その表部は、約一メートルの右基盤岩の風化土層に覆われている。本件斜面上端部の本件リフト付近においては、右風化土層の厚さは三メートルにのぼる。

3  本件リフトの瑕疵

(一) 本件リフトの設置の危険性

本件リフトは、次のような状況で設置されていたから、本来、崖崩れ等による多大な被害が発生するおそれのある建築物である。

(1) 住宅地上への設置

賤機山は、静岡市の中心部に近い人家密集地域内に突出した丘陵であって、本件斜面の直下まで木造住宅が密集していた。

(2) 山地高所への設置

本件リフトは、海抜九〇ないし一一〇メートルの山地の高所に設置され、巨大な位置エネルギーをもっていた。

(3) 欠陥斜面への設置

本件斜面は、もともと、異常放射能帯、破砕帯であるから、欠陥斜面であって、崩壊の危険があった。

(4) 急傾斜地への設置

本件リフトが設置された本件斜面は、傾斜度が南側崩壊部分三四度、北側崩壊部分三三度で、傾斜度三〇度以上の急傾斜地であった。

(5) 崩壊前例地への設置

本件斜面は、本件リフト設置が建設される以前の明治四三年八月、降り続いた大雨で一本松の前の茶畑が大きく崩れた履歴があった。

(6) 切土と盛土斜面への設置

被告会社は、賤機山の尾根下沿に、横延長三三二メートルにわたって、切土・盛土をして、本件リフトを設置したが、このように、人為的改変が加えられた斜面に、本件リフト施設の如く、L字型に人工的に切取工事をした場合、一般的に、斜面の安定性が欠け、崖崩れ等の危険が生じる。

(二) 本件リフトの具体的瑕疵

本件リフトを設置した被告会社としては、右のような崖崩れ等によって、多大の被害が発生することのないように、本件リフトを設置・管理すべき義務があるところ、本件リフトには、次のような瑕疵があった。

(1) 設置前調査の不実施

建築基準法施行令一三六条の三、二項は、山留工事は、地盤調査による地層及び地下水の状況に応じて作成した施工図に基づいて行わなければならないと規定しているところ、本件リフトは、海抜九〇ないし一一〇メートルの山地の高所にあり、その斜面の下には人家が密集しており、このような位置の斜面に本件リフトを設置する場合には、工作物が崩壊、落下すれば、巨大なエネルギーをもって人命財産を直撃し、重大な損害を及ぼす危険があることが明らかに予想されるのであるから、本件リフトの設置に際しては、ボーリング、サラウディングなどを含む土質、地質、地下水、地形、気象、斜面の履歴等の必要な調査をした上で、それに見合った安全な人工的構造物を設置する必要があったのに、被告会社は、これを怠り、右のような調査を一切せずに、本件リフトを設置した。

(2) 設計の欠陥

① 建築基準法一九条四項は、崖崩れ、地すべり等のおそれがある場合には、擁壁を設置しなければならないと規定している。そして、これに関連して、建築基礎構造設計規準(昭和二七年一一月)一六条は、基礎構造に関し、(ア)上部構造を完全に支持し、有害な沈下、傾斜等を起こさないよう設計すること、(イ)基礎構造の選択、設計及び施行計画は、敷地の地盤状況に適合すること、(ウ)基礎構造は、直接又は間接に良質地盤に支持せしめ、軟弱地盤の支持に頼ることをなるべく避けること、などを要求している。また、同規準三一条は、擁壁の設計に関し、(ア)基礎底面の最大応力度は、許容地耐力度を超えないこと、(イ)擁壁の転倒モーメントは安定モーメントを超えないこと、(ウ)擁壁に作用する土圧の水平分力は基礎底面の摩擦抵抗力を超えないことを要求する他、(エ)水圧を考慮しない場合には、排水について適当な処理をすることを要求しているところ、同規準については、一般に、土圧その他の力に対して沈下、転倒、水平移動等のないよう全体としても安定を考慮してその基礎底面の幅を決定し、その後、各部分をその応力に対し安全であるように設計することを要求する他、地下水、雨水等の排水処理を適当に行わなければならず、特別に水圧を考慮して行う場合以外は擁壁背面に地下水、雨水等が停滞しないように排水処置を適当に行うこととされ、その方法としては、擁壁に排水孔を設け裏込め土に適当な砂利を配置する方法が挙げられ、排水が、基礎底面の下部に流れこまないように処置することが要求されていると解されている。

その他、建築基礎構造設計規準(昭和三五年一月二〇日)四五条は、擁壁の設計、特に排水に関して、擁壁背面土の排水に関して十分な処置をしなければならず、この処置ができない場合には、水圧を考慮しなければならないとする他、農林省土地改良事業計画設計基準(昭和三一年一二月一日)においても、擁壁の設計上の注意として、過剰な水を排水することが要求されている。

このように、本件リフトないしその道床(以下「本件道床」という。)が設置される昭和三五年当時には、擁壁の設置義務及びその設計の技術的基準が明確に規定されていた。

② 被告会社は、本件斜面全体を保護するためではなく、単に盛土を支える目的で、「浅間山甲種特殊索道施設設計図」により、本件道床及び本件リフトの土留を設計し、施行した。その詳細は、次のとおりである。

(ア) 斜面を切土、盛土して、道床を設置した。

(イ) 道床山側の法面の土留については、本件リフト開設当初の計画では、玉石張りであり、「玉石張控」壁を設け、その背面に裏込栗石を込める予定になっていたが、そのような工事を施行せず、切り取っただけの自然傾斜のままであった。

(ウ) 道床山側の排水溝は、深さ三〇センチメートル、幅三〇センチメートルの設計であったが、実際には設計より小さく造られ、排水溝には蓋も設けられていなかった。

(エ) 道床の中央部から山側に二パーセントの勾配が設けられるように設計されていたが、昭和四九年当時には、盛土の沈下や土留め傾斜のため、道床が谷側に傾斜していた。

(オ) 道床谷側の法面には、擁壁を設置せず、柵板工による土留壁(以下「本件柵板工土留」という。)を設置したにすぎなかった。

(カ) 本件柵板工土留は、垂直に自立することにしていたし、本件柵板工土留の基礎の深さも浅く、しかも風化土層中にあって、その下の固結度の高い基盤岩に打ち込まれていなかった。

(キ) 本件柵板工土留の基礎は、独立したものとして設計されていたが、実際には連続した無筋の基礎となり、基礎背面に水を溜める構造になっていて、排水される構造になっていなかった。その上、基礎の形状も不揃いで、十分な施行がなされていなかった。

(ク) 本件柵板工土留の高さは、北側及び南側崩壊斜面のものとも、設計図及び現地での崩壊部分に接続した部分の実測結果からみて、本件柵板工土留の谷側の前面地表から約1.8メートルであったと考えられる。

(ケ) 設計図によると、本件柵板工土留の引留用杭は、支柱を亜鉛引鉄線で控版コンクリートとし、また壁高二メートル以下の場合は控杭のみにて引留する構造であったが、設計図のように施行されていなかった。

(コ) 本件柵板工土留には、裏込め排水層が設けられず、水抜き孔も設計されていない。

③ 被告会社は、右のように、本件道床及び本件柵板工土留を設計するにあたり、本件斜面の安定や土留設計については、経験的な判断にのみ基づいて行い、構造計算などによる具体的な検討の裏付けがなく、前記の擁壁等の設置に関する技術的基準に則ったものとしていない。

(3) 本件柵板工土留の構造上の欠陥

① 前記のように、建築基準法一九条四項は、崖崩れ、地すべり等のおそれがある場合には、擁壁を設置すべきであると規定するほか、建築基礎構造設計規準三一条は、擁壁の設計に関し、土圧及び水圧に対して安全に設計すべき旨定め、建築基礎構造設計規準四八条は、土圧及び水圧に対し、安全な構造及び耐力を有するものでなければならない旨規定し、同規準四五条においては、水圧を考慮しなければならない旨規定している。

② そうであるのに、被告会社は、本件リフトを設置するにあたり、建築学・土木学上定義された擁壁に該当しない、柵板で組立られた簡易なプレハブの本件柵板工土留を設置したにすぎない。本件柵板工土留は、無筋コンクリートの基礎上に約八五センチメートル間隔に垂直に埋めこまれた一五センチーメトル角のコンクリート製支柱に、厚さ六センチメートル、幅二〇センチメートル、長さ二メートルのコンクリート製壁板をはめ込んだ簡易な組立式で、支柱の数が少なく、壁板の厚さが足りない極めて貧弱な構造であった。

(4) 本件柵板工土留の基礎の不安定

① 前記のように、建築基礎構造設計規準一六条は、基礎構造に関し、(ア)上部構造を安全に支持し、有害な沈下、傾斜等を起こさないよう設計すること、(イ)基礎構造の選択、設計及び施行計画は、敷地の地盤状況に適合すること、(ウ)基礎構造は、直接又は間接に良質地盤に支持せしめ、軟弱地盤の支持に頼ることをなるべくさけることを、同規準三一条は、擁壁の設計に関し、(ア)基礎底面の最大応力度は、許容地耐力度を超えないこと、(イ)擁壁の転倒モーメントは安定モーメントを超えないこと、(ウ)擁壁に作用する土圧の水平分力は基礎底面の摩擦抵抗力を超えないこと等を要求している。

② そうであるのに、被告会社が設置した本件柵板工土留の基礎は、基盤岩に固定されていないのはもとより、上部の厚さ三〇センチメートル、下部の厚さ五〇センチメートル、高さ七〇センチメートルのコンクリート塊を深さ二五センチメートル土中に埋め込んだものであって、右基礎は、柵板工土留の高さが二メートル前後もあるにもかかわらず、埋め込みが浅く、しかも底部の奥行がないため極めて不安定であった。

しかも、重要な抵抗の役割を果たす本件柵板工土留前面の土は黒ボク土壌であり、侵食されやすく、十分に抵抗の役割を果たしていなかった。

(5) 本件柵板工土留の支柱の欠損

① 建築基準法一九条四項は、土砂災害等防止のため、擁壁の設置及びその他安全上適切な措置を講じなければならないと定めている。

② そうであるのに、被告会社が設置した本件柵板工土留の支柱は、鉛直線に設計されていたが、盛土部分の土圧・水圧の増大により、支柱にクラックが発生して、五ないし一〇度谷側に傾斜し、倒壊等危険な状態であった。また、設計に際しても、強度・耐力等の構造計算がなされておらず、脆弱な支柱が設置され、右安全上適切な措置はとられていなかった。

(6) 排水対策の欠陥

① 建築基準法施行令一四二条三項は、擁壁の構造について、擁壁の裏面の排水をよくするため、水抜穴を設け、擁壁の裏面で水抜穴の周辺に砂利等をつめることを要求している他、同条四ないし六項において、特に排水孔について考慮しなければならないとされている。

② そうであるのに、本件柵板工土留には、降雨時に浸透した雨水等をできるだけ外側に排出して水圧を減じ、土圧の上昇を避けるための排水孔がなく、背面にも、栗石等の透水性の高い材料の充填による排水対策がなされておらず、かえって、透水性の小さい粘土、シルト分を含む自然土を裏込土として使用していた。また、右盛土部分の地表面は、水が浸透しないように配慮されるべきであるのに、芝生が植えられただけで、道床は、谷側に傾いており、柵板の上端より道床が約二〇センチメートル沈下しているため、雨水が柵板工土留の裏に集まりやすい構造になっている他、道床山側に設けられた排水溝は、設計よりも小さくなっており、雨水を処理するのに十分なものではなく、排水への顧慮がまったくなかった。

(7) 本件道床の有害性

① 宅地造成等規制法施行令四条は、切土又は盛土をする場合においては、崖の上端に続く地盤面は、特別の事情がない限り、その崖の反対方向に雨水その他の地表水が流れるように勾配をとらなければならないと規定し、本件道床に該当する地盤面についての勾配の準則が示されている。

② しかし、本件道床の築造に際し、盛土は、切土した自然土が使われており、盛土部分の締め固めが緩かったため、その後、雨水によって締め固められて沈下し、その結果、設計と逆に谷側に傾斜し、本件リフト道床上の雨水が本件柵板工土留の背面に流入し、背面の圧力を上昇させ、本件柵板工土留が前傾するという危険な状態となっていた。

(8) 本件リフトの管理、点検の懈怠

① 被告会社には、本件リフト設置の際に、既に定められていた建築基準法、同法施行令、建築基礎構造設計規準等に従う義務があった他、その管理点検の際には、前記の各規定の他、本件リフト設置後の昭和三六年に制定された宅地造成設計基準等規制法にも従う義務があり、同法に定められた地盤の土質並びに斜面の傾度及び擁壁の高さに応じて、鉄筋コンクリート擁壁あるいは石積み擁壁などの構造を設け、また、壁の見付け面積三平方メートルに一個あたりの割合で水抜孔を設け、水抜孔の内径は、7.5センチメートル以上とする等の具体的な規定を遵守する必要があった。

② ところが、本件柵板工土留は、前記のように設置自体に瑕疵があって、その設置後、わずか三年を経過した昭和三八年に、既に柵板工が前傾して倒れるなどの水圧及び土圧に耐えられない土留となっていたものであり、そのような脆弱な土留であったので、降雨量の多い静岡市において、年月が経過すれば、水圧が上がり崩壊するのは当然であったところ、昭和四三年七月六日にも、豪雨で本件リフト設置箇所の近くに小崩壊があった他、現実に支柱の傾斜、クラックの発生及び地盤の沈下等があったのに、被告会社はこれらを看過し、本件柵板工が倒壊する危険が切迫していた徴表が現れていたにもかかわらず、その点検を怠ったためこれらの危険を発見するに至らず、それらの危険を除去すべき補修等の管理をも怠った。

4  被告県知事の本件斜面の放置

(一) 急傾斜地崩壊危険区域の指定義務

被告県知事は、被告県の長として、治山、治水、防災等の事務処理を指揮監督するほか、急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律(以下「急傾斜地法」という。)三条に基づき、「崩壊するおそれのある急傾斜地で、その崩壊により、相当数の居住者に危害が生ずるおそれのあるもの」等を急傾斜地崩壊危険区域に指定する事務を処理しなければならない。

そして、昭和四四年八月二五日建設省河川局長通達(以下「昭和四四年局長通達」という。)によれば、右指定基準は、傾斜度三〇度以上、急傾斜地の高さ五メートル以上のもので、急傾斜地の崩壊により危害が生ずるおそれのある人家が五戸以上あるもの又は五戸未満であっても、官公署、学校等に危害が生ずるおそれのあるものとされている。

また、昭和四七年七月一一日建設省河発第四号建設省事務次官通達「急傾斜地の崩壊等による災害危険箇所の総点検の実施及び警戒避難体制の確立について」(以下「昭和四七年事務次官通達」という。)において、「急傾斜地の崩壊、土石流等の土砂災害による人命等の被害が顕著であることにかんがみ、関係市町村その他の関係機関との緊密な連絡及び協力のもとに、これら土砂害による災害の発生が予想される危険箇所の総点検を別添要綱により、早急に実施し、点検によって得られた結果を付近住民に周知徹底せしめるとともに、緊急時における警戒避難体制を確立し、万全を期せられたい。なお、総点検により必要と認められた箇所については、すみやかに急傾斜地崩壊危険区域の指定を行い、管理の徹底を期されたい旨」等と定められ、知事の急傾斜地崩壊危険区域指定の作為義務が明示された上、同月二〇日、建設省砂防局長は、右総点検(以下「四七総点検」という。)の実施要綱及び実施要領(以下「四七総点検実施要綱及び実施要領」という。)を提示し、「急傾斜地帯」の概念を再構成し一戸以上被災する危険地全部を調査対象とした上、「危険箇所」の概念も再構成し、行政の徹底を図るため、(1)傾斜角三〇度以上、高さ五メートル以上、人家五戸以上はすべて調査対象とし、(2)危険度の判定につき点数制によるランク付けを行うことを要求した他、調査内容として、空中写真、地形図、地質図等で概査し、急傾斜地帯を地形図に図示すること、地帯調査で図示した急傾斜地帯を現地で踏査確認した上、崩壊危険箇所について傾斜度、高さ、長さ、地質、表土の厚さ、人家戸数等詳細な診断を実施すること、切土、盛土、構造物の設置等人工の手が加わっている人工斜面については、急傾斜地崩壊防止工事の技術的水準を満たしているか否かを調査すること、急傾斜面に現在崩壊が生じているか否かあるいは過去における崩壊の有無を調査すること、危険区域とされた場所について、急傾斜地崩壊危険度判定基準の表により、急傾斜地崩壊危険区域を決定すべきことを要求している。そして、急傾斜地崩壊危険区域危険度判定基準による採点区分には、周辺の崩壊が記載されている。

なお、行政のこの点に関する都道府県知事らに対する指導監督は、別紙行政の指導監督一覧表記載のとおりであって、その急傾斜地危険地帯の概念は、別紙通達基準事項一覧表記載のとおりである。

(二) 急傾斜地崩壊危険区域指定に関する規制

(1) 急傾斜地崩壊危険区域指定に関する調査義務(急傾斜地法四条)

都道府県知事は、急傾斜地崩壊危険区域の指定にあたって、地形、地質、降水等の状況に関する現地調査をすることが義務付けられており、急傾斜地崩壊危険箇所を調査、探知すべき作為義務がある。

(2) 行為制限(同法七条)

急傾斜地崩壊危険区域内では、水の放流、切土、盛土等急傾斜地法一項各号所定の行為は、都道府県知事の許可なくして行えなくなる。

(3) 防災措置の勧告(同法九条三項)

都道府県知事は、急傾斜地の崩壊による災害を防止するため、急傾斜地崩壊危険区域内の土地の所有者等に対し、急傾斜地崩壊防止工事の施行、被害を受けるおそれの著しい家屋の移転等の措置を勧告することができる。

(4) 改善措置の命令(同法一〇条)

さらに、都道府県知事は、右指定の前後をとわず、前記七条一項各号所定の行為が行われたため崩壊のおそれが著しい場合は、土地の所有者等に対し、急傾斜地崩壊防止工事の施行等を命ずることができる。

(5) 急傾斜地崩壊防止工事の施行(同法一二条)

都道府県は、傾斜度三〇度以上、高さ一〇メートル以上で、人家密集地で多数の家屋倒壊等著しい被害を及ぼすおそれがあり、移転適地がない斜面について、急傾斜地の所有者、被害を受けるおそれのある者等が行うのが困難もしくは不適当な急傾斜地崩壊防止工事を行うものとされている。

(6) 災害危険区域の指定(同法一九条)・整備

都道府県もしくは建築主事を置く市町村は、急傾斜地の崩壊による危険の著しい地域を、災害危険区域(建築基準法三九条一項)に指定する。この災害危険区域内では、建築物の建築の禁止その他の建築制限が行われる。

(7) 警戒避難体制の整備

都道府県知事は、急傾斜地崩壊危険区域の指定があった場合には、市町村長にその旨通知し(同法三条三項)、市町村防災会議は、その通知に基づき、市町村防災計画において、急傾斜地崩壊危険区域の崩壊による災害防止のため必要な警戒体制に関する事項について定めなければならない。

(三) 行政権限の不行使に基づく国家賠償責任

行政権限の不行使であっても、その不行使が、その権限を公務員に授権した法の趣旨に反するに至る事情があったために、他人に損害を加えた場合には、その権限を行使する義務を怠ったものとして違法となり、国又は公共団体は、その損害を賠償する責に任ずると解すべきである。

そして、①損害という結果発生の危険があり、かつ、現実にその結果が発生したこと(危険性及び現実の結果発生)、②公務員がその権限を行使することによって結果の発生を防止することができたこと(因果関係)、③具体的事情のもとで右権限を行使することが可能であり、これを期待することが可能であったこと(権限行使の可能性及び期待可能性)の三要件を充たす場合には、右公務員の右権限を行使するか否かの裁量権は後退収縮してその権限を行使すべき義務を負担することになり、これを行使しなかったときは作為義務違反として国家賠償法上違法になると解するのが相当である。

(四) 被告県知事の権限行使の懈怠

(1) 本件リフトが設置されていた賤機山の本件斜面は、前記のとおりの高さ、傾斜度、土質を有し、斜面直下より住宅密集地が続き、その周辺においては明治四三年八月九日、昭和四一年六月二八日、昭和四三年七月六日に崩壊事故が起こったこともあった。その上、その上部には、表土を切土、盛土して幅約六メートルの本件リフト道床が築造されており、しかも、右道床は、前記のとおり設置当初より崩壊の危険がある瑕疵ある構造物であって、それが年月の経過とともに増大し、崩壊の危険が著しく高まっていた。したがって、本件斜面は、①傾斜角が三〇度以上、②高さ一〇メートル以上の傾斜地で、③崩壊により人家密集地区で多数の家屋の倒壊等著しい被害のおそれがあるものとして、急傾斜地法三条の急傾斜地崩壊危険区域の指定基準を充たすし、また、④被害のおそれのある家屋に関し移転適地がなく、⑤事業費が至大であって地元が負担することが著しく困難な場合にあたるとして、同法一二条の都道府県の施行する急傾斜地崩壊防止工事の選択基準をも充たす斜面であるというべきである。

(2) したがって、本件斜面は、崩壊の著しい危険があって、人家密集地に突出しているため一旦崩壊した場合には、人命損傷、家屋倒壊の危険があり、かつ、現実に本件斜面崩壊の事故は発生しているし(危険性及び現実の結果発生)、また、被告県知事が、急傾斜地崩壊危険区域指定及び急傾斜地崩壊危険区域崩壊防止工事等を施行していたとすれば、本件斜面における土圧、水圧の上昇がおこらず、本件斜面の崩壊事故は起こらなかったといえる(因果関係)。

さらに、昭和四九年当時は急傾斜地法施行後五年近くを経過していたこと及び本件斜面の前記危険性からの措置の緊急性及び行政通達に合致していたことに鑑みると、被告県の知事は、右措置をとることは可能であったといえる。

(3) それゆえ、そのような本件斜面を放置することは、急傾斜地法が、都道府県知事に対し、急傾斜地崩壊危険区域を指定し、それについて前記の規制をする権限を与えた同法の趣旨であるところの「急傾斜地の崩壊による災害から国民の生命を保護するため、急傾斜地の崩壊を防止し、及びその崩壊に対しての警戒避難体制を整備する等の措置を講じ、もって民生の安定と国土の保全とに資する」(同法一条)ことに反することとなるが、被告県は、昭和四七年に、本件斜面の基礎調査を行っただけで、指定手続の進行を怠り、その結果、本件リフトの瑕疵を看過し、急傾斜地崩壊防止工事等の適切な防災対策を何らとらないまま本件斜面崩壊事故に至ったものである。

5  本件事故及び本件死亡事故の発生

昭和四九年七月七日、静岡市地方では、同日夜来午後一一時五〇分までの間に約一八〇ミリメートルの降雨があった。

本件道床は、同日午後一一時三〇分頃に南側転回塔寄り長さ約二二メートル、北側山上駅寄り長さ約三六メートルの二箇所にわたって、道床盛土とともに崩壊した(以下「本件事故」といい、さらに前者を「南側崩壊」、後者を「北側崩壊」という。)。

右北側崩壊部分より落下した土砂、リフト部材等は、下方の静岡市丸山町二七番地原告知生方、同所同番地亡ひさ方、同所二六番地亡音吉方等民家数戸を崩壊させ、原告知生方に居住していた亡智子、旅行中立ち寄っていた亡喜代子、急報を聞き付けて駆け付けてきた亡隆久、亡ひさ方に居住していた亡ひさ及び亡かう、自宅に居住していた亡音吉他二名を崩壊した泥土による窒息等により死亡させた他、同人ら及び原告知生所有の動産等を滅失させた(以下「本件死亡等事故」という。)。

6  被告会社の責任

(一) 本件リフトの瑕疵と本件事故との因果関係

(1) 本件斜面の崩壊位置

本件斜面の崩壊は、南側から始まり、北側に進んだが、南側崩壊部分に集中すべき雨水が、山側切り取り面の崩壊により、道床上に落下した土砂によってせきとめられ、北側崩壊部分の水圧が上昇し、本件柵板工土留の強度を低下させ、北側斜面が崩壊したものである。

(2) 本件斜面崩壊の規模

南側崩壊は、リフト路面に沿って幅二四メートル、斜面に沿って下方に最大二〇メートル(標高八〇メートル付近まで)、逆三角形の部分が、円弧状に滑り落ちたものであり、すべりの平均的深さは、斜面と直角に1.5メートルである。

崩壊土量は、体積三五〇ないし四〇〇立方メートル、重量は、比重を1.65として、五七八ないし六六三トンであり、その他に、柵板工土留コンクリート26.21トンが落下した。

また、北側崩壊は、リフト路面に沿って、幅37.6メートル、斜面に沿って、下方に最大三〇ないし三五メートル(標高八〇メートル付近まで)の逆三角形の部分が円弧状にすべり落ちたものであり、そのすべりの平均的深さは、斜面と直角に三メートルである。

崩壊土量は、体積一二〇〇ないし一四〇〇立方メートル、重量は、比重を1.65として、一九〇〇ないし二三〇〇トンであり、他に、柵板工土留コンクリート40.97トンが落下した。

(3) 崩壊斜面の状況

本件リフト及びその直下の部分が崩壊したが、その下方(南側及び北側とも、標高八〇メートル以下の部分)は崩壊せずにそのまま残った。

右落下速度は、斜面下端に達した時点で秒速一五ないし二八メートルである。

右土砂、コンクリートブロックの落下の際、大部分の斜面上突起物は、破壊されたが、斜面表面の黒ボク表土はほとんど削られずに残り、水槽前面、農道階段、みかんの木は残存した。また、コンクリートブロックは、斜面上の突起物と衝突した際強い抵抗を受け、崩壊した67.18トンの内、斜面下まで達したのは一九トンであった。

(4) 本件事故の機構

① 昭和四九年七月七日午後一一時五〇分頃までに、右降雨により、本件リフト山側斜面の土砂及び草木の流出等により、設計よりも小さく設置された排水溝が塞がれ、道床を流下する大量の雨水がせき止められ、谷側に傾斜し、本件柵板工土留よりも約二〇ないし三〇センチメートル低くなっていた道床盛土部分に雨水が集中し、貯溜し、溢水し、本件柵板工土留の背面に雨水が集中し、水抜孔、裏込排水層の排水対策がなされていないため、水圧・土圧が著しく増大し、本件柵板工土留が谷側に傾斜し、盛土で造成された道床部に亀裂(陥沈孔等)が生じ、そこへ雨水が侵入し、盛土部分の土圧・水圧が増大し、谷側に傾斜して支柱にクラックの入っていた本件柵板工土留が耐えきれず、基盤岩に固定されていない基礎が支持を失い、本件道床の盛土が本件柵板工土留の部材とともに崩壊し、土砂流となって被害者らを襲ったものである。したがって、本件事故が発生したのは、本件リフトの瑕疵によって、本件道床が崩壊したことによるものであって、下部の斜面が崩壊したことによるものではない。

② 本件事故について、本件斜面下部から崩壊が生じ、順次上方が引きずられ、ついに最上部の本件柵板工土留が崩壊したとするような考え方は、以下の事実から合理的に説明できず、成り立ち得ない。

(ア) 崩壊が下方から順次上方へ進む場合、円弧状の崩壊が数段続く現象が生ずるのであるが、本件斜面では、円弧状の崩壊は、本件柵板工土留直下の部分だけにしか発生していない。

(イ) 崩壊が下方から順次上方へ進む場合、崩壊土量が多くなるが、本件の崩壊土量は少ない。

(ウ) 本件事故においては、斜面中途の部分は、黒ボク表土が残っているなど、崩壊していない。

(エ) 斜面崩壊は、斜面における滑り圧力が、滑りに対する抵抗力より大きくなったときに起こるが、本件斜面においては、盛土、本件柵板工土留のない自然斜面のままでは、滑りに対する抵抗力が大きく、崩壊は起こり得ない。

(二) 本件事故と本件死亡等事故の因果関係

そして、本件死亡等事故が発生したのは、本件リフトの下部の斜面の崩壊によるものではなく、本件リフト独自の崩壊による北側斜面からの土砂、本件柵板工土留の部材等の落下によるものである。

(三) 被告会社の責任

被告会社は、昭和三五年ころ、本件リフト建設のために、静岡市大岩字城山一二三五番の四一等本件リフト道床敷地を買い受け、それ以降これを占有所有していたものである。

本件事故ないし本件死亡等事故は、被告会社の所有かつ占有する右土地の工作物である本件道床及びその本件柵板工土留に前記のとおり設置当初より崩壊の危険のある瑕疵があり、しかもその危険が日時の経過とともに増大したのにかかわらず、被告会社において何ら補修等の措置を講じなかったため生じたものであるから、被告会社には、民法七一七条一項により被害者に対し損害賠償をすべき責任がある。

7  被告県の責任

前記のように、被告県には、本件斜面を急傾斜地法上にいう急傾斜地崩壊危険区域に指定して、崩壊防止工事を施行する等の適切な措置を講じる義務があったのに、これを怠ったものであり、急傾斜地崩壊危険区域に指定して、崩壊防止工事を施行するかあるいは静岡市を通じて、被災者等住民に対し、本件斜面の具体的危険を知らせて、充分な警戒を促すことによって、被災者等住民自らが事前に警戒避難して本件死亡等事故を避けることができたというべきであるから、被告県は、急傾斜地崩壊危険区域の指定ないし災害防止上必要な措置をとり得べき行政権限の不行使によって、本件死亡等事故を発生させたということができ、被告会社とともに、共同不法行為者として、国家賠償法一条の責任がある。

8  損害の発生

(一) 損害算定の基準

(1) 逸失利益

① 就労可能年齢は、原則として六七歳とする。

② 年間所得は、有職者については、本件事故当時における死亡者の数か月間の実際の所得額を基準として計算した額とし、主婦については、事故当時同年齢の女子労働の平均賃金とする。

但し、亡喜代子、亡隆久及び亡智子に関しては、金銭評価の時期は、なるべく遅い時期すなわち口頭弁論終結時またはそれに近い時期を基準時にすべきという原則に従って、昭和六二年一二月二一日を基準として、同年齢の労働者の平均給与月額をもって算定する。

③ 年間生活費控除は、年間所得額の三〇パーセントを控除する。

(2) 慰藉料

本件事故の態様、死亡者及び原告らの身分関係、前記自然現象、本件リフトの設置、保存の態様その他諸般の事情を総合すると、死亡者及び原告らの慰藉料は、各慰藉料の項記載のとおりである。

なお、慰藉料の算定時期については、最終口頭弁論期日までの全事実を斟酌すべきであるという原則から、亡喜代子、亡隆久及び亡智子の死亡による損害については、口頭弁論終結時に近い時期を基準時とした。

(3) 弁護士費用

原告らは、本件訴えの提起、遂行を原告ら訴訟代理人に委任するに際し、訴え提起と同時に、弁護士費用として日本弁護士連合会規則第七号報酬基準規定に従った額の範囲内、すなわち、本訴において原告らの受ける現実的利益の価額の一〇パーセントを支払う旨約した。そして、被告らは、本件損害賠償義務の支払を拒絶しているのであるから、法律知識に疎い原告らが、本件訴訟の提起及び維持のため、弁護士を委任したのは必要やむを得ないことであるから、右弁護士費用は、本件不法行為と相当因果関係のある損害といえる。

なお、亡喜代子、亡隆久及び亡智子の死亡による損害については、右報酬基準規定の昭和五〇年三月八日、改定後の同会規則第二〇号一八条に基づく範囲内で支払う旨約束を変更し、それについても、同様に、本件不法行為と相当因果関係のある損害といえる。

(二) 亡喜代子、亡隆久及び亡智子関係

(1) 亡喜代子に関する請求額

三六二九万五一八一円

① 逸失利益 一九二九万五一八一円

亡喜代子は、大正一一年八月一一日生まれで、本件事故当時満五〇歳の健康な女性であって、化粧品の販売員として、ポーラ化粧品本舗中営業所に勤務しており、事故前三か月の平均月収は、一〇万五八六八円を下らなかったものである。しかし、昭和六二年の女子労働の平均給与月額は、一九万〇二〇〇円であるので、逸失利益は、以下のように計算できる。

19万0200円×12×(1−0.3)×12.077(五〇歳の新ホフマン係数)=1929万5181円

② 慰藉料  一七〇〇万円

③ 相続

亡喜代子が本件事故によって死亡したため、左記の相続が開始した。

(相続人) (相続分) (金額)

夫 亡四三男 三分の一

一二〇九万八三九三円

子 原告恭志 九分の二

八〇六万五五九五円

(代襲相続人)(代襲相続分)(金額)

孫 原告裕子 九分の二

八〇六万五五九五円

孫 原告奈穂美 九分の一

四〇三万二七九七円

孫 原告夕佳里 九分の一

四〇三万二七九七円

(2) 亡隆久に関する請求額

六九〇〇万六六六二円

① 逸失利益 四六四六万八三八六円

亡隆久は、昭和二一年一〇月一四日生まれで、本件事故当時満二七歳の健康な男子であったが、リンナイ株式会社静岡出張所に勤務しており、昭和四九年一月から同年六月までの間に合計八六万五〇五一円の収入を得ていた。しかし、昭和六二年における二七歳の男子労働者の平均給与額は二五万五六〇〇円であるので、逸失利益は、以下のように計算できる。

25万5600円×12×(1−0.3)×21.643(二七歳の新ホフマン係数)=4646万8386円

② 車両損害 五三万八二七六円

亡隆久は、本件事故により自動車(クラウン四五年型MS五一)一台を失ったが、その価格は五三万八二七六円であった。

③ 慰藉料  二二〇〇万円

④ 相続

亡隆久は、本件事故によって死亡したため、左記の相続が開始した。

(相続人) (相続分) (金額)

妻 原告やよい 三分の一

二三〇〇万二二二〇円

子 原告裕子 三分の二

四六〇〇万四四四一円

(3) 亡智子に関する請求額

五〇五九万三一七五円

① 逸失利益 三三五九万三一七五円

亡智子は、昭和一九年六月二六日生まれ、死亡当時満三〇歳で、主婦として家事に従事していた。昭和六二年における三〇歳の女子労働者の平均給与月額は、一九万三九〇〇円であるので、逸失利益は、以下のように計算できる。

19万3900円×12×(1−0.3)×20.625(三〇歳の新ホフマン係数)

=3359万3175円

② 慰藉料  一七〇〇万円

③ 相続

亡智子は、本件事故によって死亡したので、左記の相続が開始した。

(相続人) (相続分) (金額)

夫 原告知生 三分の一

一六八六万四三九一円

子 原告奈穂美 三分の一

一六八六万四三九一円

子 原告夕佳里 三分の一

一六八六万四三九一円

(4) 亡四三男に関する請求額

一五一六万三八七三円

① 亡喜代子の相続分

一二〇九万八三九三円

② 休業損害 六万〇四八〇円

亡四三男は、本件事故によって昭和四九年七月末まで、勤務先の愛知トヨタ中古車共販株式会社を休んで被災処理に勤めた。亡四三男の日給は二八八〇円であり、休業日数が二一日であるので、休業損害は、以下の計算となる。

二八八〇円×二一=六万〇四八〇円

③ 亡喜代子の葬式費用 一〇〇万円

④ 弁護士費用 二〇〇万五〇〇〇円

請求額一三一五万八八七三円に対する着手金及び報酬の標準額(各同額)の合計である。

⑤ 相続

亡四三男は、昭和五三年一〇月三〇日に死亡したため、左記の相続が開始した。

(相続人) (相続分) (金額)

子 原告恭志 三分の一

五〇五万四六二四円

(代襲相続人)(代襲相続分)(金額)

孫 原告裕子 三分の一

五〇五万四六二四円

孫 原告奈穂美 六分の一

二五二万七三一二円

孫 原告夕佳里 六分の一

二五二万七三一二円

(5) 原告やよいの請求額

三二五九万二二二〇円

① 亡隆久の相続分

二三〇〇万二二二〇円

② 亡隆久の葬儀費用 一〇〇万円

③ 原告やよい固有の慰籍料

五〇〇万円

④ 弁護士費用 三五九万円

請求額二九〇〇万二二二〇円に対する着手金及び報酬金の標準額(各同額)の合計である。

(6) 原告裕子の請求額

七〇九四万四二六〇円

① 亡喜代子の相続分

八〇六万五五九五円

② 亡隆久の相続分

四六〇〇万四四四一円

③ 亡四三男の相続分

五〇五万四六二四円

④ 原告裕子固有の慰藉料

五〇〇万円

⑤ 弁護士費用 六八一万九六〇〇円

請求額六四一二万四六六〇円に対する着手金及び報酬金の標準額(各同額)の合計である。

(7) 原告恭志の請求額

二〇八二万九二一九円

① 亡喜代子の相続分

八〇六万五五九五円

② 休業損害 一八万九〇〇〇円

原告恭志は、本件事故当時、午前八時半から午後五時までは信光陸運合資会社において倉庫管理・事務に従事し、日給は六〇〇〇円であった。また、原告恭志は、午後六時半から午後一一時まで透明観光株式会社において会計事務に従事し、日給は三〇〇〇円であったが、原告恭志は、本件事故の被災処理のため、右二つの会社を二一日間欠勤せざるをえなかったが、その休業損害は以下のとおりである。

(六〇〇〇円+三〇〇〇円)×二一

=一八万九〇〇〇円

③ 亡四三男の相続分

五〇五万四六二四円

④ 原告恭志固有の慰藉料

五〇〇万円

⑤ 弁護士費用 二五二万円

請求額一八三〇万九二一九円に対する着手金及び報酬金の標準額(各同額)の合計である。

(8) 原告知生の請求額

三〇六一万九三九一円

① 亡智子の相続分

一六八六万四三九一円

② 原告知生固有の慰藉料 五〇〇万円

③ 亡智子の葬儀費用 一〇〇万円

④ 動産 四三四万五〇〇〇円

本件事故によって、原告知生の所有した動産が流失、滅失したところ、その昭和四九年の時価相当額の合計は、右記のとおりである。

⑤ 弁護士費用 三四一万円

請求額二七二〇万九三九一円に対する着手金及び報酬金の標準額(各同額)の合計である。

(9) 原告奈穂美及び原告夕佳里の請求額

各三一九五万六五〇〇円

① 亡喜代子の相続分

各四〇三万二七九七円

② 亡智子の相続分

各一六八六万四三九一円

③ 亡四三男の相続分

各二五二万七三一二円

④ 原告奈穂美及び原告夕佳里の固有の慰藉料

各五〇〇万円

⑤ 弁護士費用 各三五三万二〇〇〇円

請求額二八四二万四五〇〇円に対する着手金及び報酬金の標準額(各同額)の合計である。

(三) 亡かう及び亡ひさ関係

亡かうは、本件事故当時、既に夫は死亡しており、事故当時既に死亡していた長男亡岡村慶司、原告萬吉、亡ひさ、亡惠美の四人の子があった。亡岡村慶司と妻愛との間には、原告邦彦、原告厚子及び岡村豊の三人の子がある。

(1) 亡ひさに関する請求額

一四三七万七六四七円

① 逸失利益 三七八万八六四七円

亡ひさは、大正九年六月一日生まれで、本件事故当時五四歳の健康な女性であって、本件事故当時株式会社松本栄次郎商店に勤務し、昭和四九年一月から六月までの収入の合計は二七万五五五〇円であったから、その逸失利益は、以下のとおりである。

27万5550円×2×(1−0.3)×9.821(五四歳の新ホフマン係数)

=378万8647円

② 動産 二五八万九〇〇〇円

本件事故によって、亡ひさの所有した動産が流失、滅失したところ、その昭和四九年の時価相当額の合計は、右記のとおりである。

③ 慰藉料 八〇〇万円

④ 亡ひさは、本件事故によって死亡し、相続が開始した。そして、岡村豊は、昭和四九年一一月八日、その代襲相続持分全部を、原告邦彦及び原告厚子に各二分の一ずつ譲渡した。その結果、以下のとおりとなった。

(相続人) (相続分) (金額)

兄 原告萬吉 三分の一

四七九万二五四九円

妹 原告惠美 三分の一

四七九万二五四九円

(代襲相続人)(代襲相続分及び譲り受け分の合計))

(金額)

甥 原告邦彦 六分の一

二三九万六二七四円

姪 原告厚子 六分の一

二三九万六二七四円

(2) 亡かうに関する請求額

三〇〇万円

① 慰藉料 三〇〇万円

② 相続

亡かうは、本件事故によって死亡し、相続が開始した。そして、岡村豊は、昭和四九年一一月八日、その代襲相続持分全部を、原告邦彦及び原告厚子に各二分の一ずつ譲渡した。その結果、以下のとおりとなった。

(相続人) (相続分) (金額)

子 原告萬吉 三分の一

一〇〇万円

子 亡惠美 三分の一

一〇〇万円

(代襲相続人)(代襲相続分及び譲り受け分の合計)

(金額)

孫 原告邦彦 六分の一

五〇万円

孫 原告厚子 六分の一

五〇万円

(3) 亡惠美に関する請求額

六八一万一八〇三円

① 亡ひさの相続分

四七九万二五四九円

② 亡かうの相続分 一〇〇万円

③ 亡ひさの葬儀費用

四〇万円

④ 弁護士費用 六一万九二五四円

⑤ 相続

亡惠美は、昭和五五年六月二一日死亡し、以下のとおり相続が開始した。

(相続人) (相続分) (金額)

夫 原告巖 二分の一

三四〇万五九〇一円

子 原告明子 四分の一

一七〇万二九五〇円

子 原告宏之 四分の一

一七〇万二九五〇円

(4) 原告萬吉の請求額

六三七万一八〇三円

① 亡ひさの相続分

四七九万二五四九円

② 亡かうの相続分

一〇〇万円

③ 弁護士費用

五七万九二五四円

(5) 原告巖の請求額

三四〇万五九〇一円

亡惠美の相続分

三四〇万五九〇一円

(6) 原告明子及び原告宏之の請求額

各一七〇万二九五〇円

亡惠美の相続分

各一七〇万二九五〇円

(7) 原告邦彦の請求額

三六二万五九〇一円

① 亡ひさの相続分

二三九万六二七四円

② 亡かうの相続分 五〇万円

③ 亡かうの葬儀費用 四〇万円

④ 弁護士費用 三二万九六二七円

(8) 原告厚子の請求額

三一八万五九〇一円

① 亡ひさの相続分

二三九万六二七四円

② 亡かうの相続分 五〇万円

③ 弁護士費用

二八万九六二七円

(四) 亡音吉関係

亡音吉には、事故当時妻はなく、原告臣尉しか相続人はなかった。

(1) 亡音吉に関する請求額

一一九三万三八〇〇円

① 逸失利益

三五九万三八〇〇円

亡音吉は、明治四二年生まれで、本件事故当時満六五歳であったが、著名な漆芸家、日本画家であって、一個八〇万円の価値のある漆器を年間少なくとも二個作製し、一個当たり五〇万円の収入を得ていたのであるから、逸失利益は、以下のとおりである。

50万円×2×(1−0.3)×5.134(六五歳の新ホフマン係数)

=359万3800円

② 動産 二四万円

本件事故によって、亡音吉の所有した動産が流出、滅失したところ、その昭和四九年の時価相当額の合計は、右記のとおりである。

③ 慰藉料 八〇〇万円

④ 相続

亡音吉は、本件事故によって死亡したので、以下のような相続が開始した。

(相続人) (金額)

子 原告臣尉

一一九三万三八〇〇円

(2) 原告臣尉の請求額

一三五六万七一八〇円

① 亡音吉の相続分

一一九三万三八〇〇円

② 亡音吉の葬儀費用 四〇万円

③ 弁護士費用

一二三万三三八〇円

9  結語

よって、原告らは、被告会社に対しては、民法七一七条一項に基づき、被告県に対しては、国家賠償法二条一項に基づき、各自、別紙請求金額目録記載の金員及びこれに対する本件死亡等事故発生の日である昭和四九年七月八日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告会社)

1 請求原因1の事実は認める。

2(一) 同2(一)の事実は認める。

(二)(1) 同2(二)(1)の事実は認める。

(2) 同2(二)(2)の事実のうち、第一段の事実は認め、第二段の事実のうち、本件斜面の傾斜度を除く事実は認め、傾斜度は否認し、第三段の事実は否認する。

3 請求原因3(一)の前文の事実は否認し、その主張は争う。

(一)(1) 同3(一)(1)の事実は認める。

(2) 同3(一)(2)の事実は認める。

(3) 同3(一)(3)の事実は認める。

(4) 同3(一)(4)の事実は認める。

(5) 同3(一)(5)の事実は知らない。

(6) 同3(一)(6)のうち、被告会社が、原告らの主張するような本件リフトを設置した事実は認め、その余の事実は否認する。

(二) 同3(二)の前文の事実のうち、被告会社に、原告ら主張の設置・管理義務のあることは認め、本件リフトに瑕疵のあることは否認し、その主張は争う。

(1) 同3(二)(1)の事実のうち、被告会社が、本件リフトの設置に際し、原告らの主張するような調査をしなかったこと、山地の高所に設置された工作物が崩壊、落下すれば、巨大なエネルギーをもって人身財産を直撃し、重大な損害を及ぼす危険があることは認め、原告らの主張するような調査をする義務のあることは争う。

(2)① 同3(二)(2)①の事実のうち、建築基準法等に原告ら主張の各規定が存在することは認め、それらの各規定が本件リフトについての適用があるとの主張は争う。

② 同3(二)(2)②の事実のうち、(ア)ないし(ウ)、(オ)ないし(キ)、(コ)の事実は認め、その余の事実は否認し、その主張は争う。

③ 同3(二)(2)③は認める。

(3)① 同3(二)(3)①の事実のうち、建築基準法等に原告ら主張の各規定があることは認め、その各規定が本件リフトに適用があるとの主張は争う。

② 同3(二)(3)②の事実のうち、被告会社が本件リフトを設置するにあたり設置した本件柵板工土留が、原告らの主張するような擁壁に該当しないことは認め、その余は争う。

(4)① 同3(二)(4)①の事実のうち、建築基礎構造設計規準に原告ら主張の各規定のあることは認め、その各規定が本件リフトに適用があるとの主張は争う。

② 同3(二)(4)②の事実のうち、本件柵板工土留が、基盤岩に固定されていなかったことは認め、その余の事実は否認する。

(5)① 同3(二)(5)①の事実のうち、建築基準法に原告ら主張の規定のあることは認め、その規定が本件リフトに適用があるとの主張は争う。

② 同3(二)(5)②の事実のうち、本件柵板工土留の支柱の設計に際して、強度・耐力等の構造計算がなされていなかったことは認め、その余の事実は否認する。

(6)① 同3(二)(6)①の事実のうち、建築基準法施行令に原告ら主張の規定のあることは認め、その規定が本件リフトに適用があるとの主張は争う。

② 同3(二)(6)②の事実のうち、本件柵板工土留に、排水孔がなく、背面に栗石等の浸透性の高い材料を充填していないこと、盛土部分の地表面に芝生が植えられていたこと、道床が谷側に傾いていたことは認め、その余の事実は否認する。

(7)① 同3(二)(7)①の事実のうち、宅地造成等規制法施行令に原告ら主張の規定のあることは認め、それが本件リフトに適用があるとの主張は争う。

② 同3(二)(7)②の事実のうち、本件道床が沈下していたことは認め、その余の事実は否認する。

(8)① 同3(二)(8)①の事実のうち、建築基準法等に原告ら主張の各規定のあることは認め、それが本件リフトに適用があるとの主張は争う。

② 同3(二)(8)②の事実のうち、昭和四三年に本件リフト設置箇所の近くに小崩壊があったことは認め、その余の事実は否認する。

4 同5の事実のうち、昭和四九年七月七日、静岡市地方に、同日夜来多量の降雨があったこと、本件リフト道床が原告らの主張するように崩壊したこと、原告ら主張の人々が泥土による窒息等により死亡したことは認め、その余の事実は否認する。

降雨量は、原告ら主張の時間帯において約二二〇ミリメートルであり、本件道床が崩壊したのは、午後一一時五〇分頃ないしそれ以降である。

5(一)(1) 同6(一)(1)の事実は否認する。

(2) 同6(一)(2)の事実は否認する。

(3) 同6(一)(3)の事実のうち、水槽前面・農道階段・みかんの木が残存していた事実は認め、その余の事実は否認する。崩壊せずに残った部分は、一部点在する程度であった。

(4) 同(一)(4)の事実は否認する。

(二) 同(二)の事実は否認する。

(三) 同(三)の事実のうち、前段の事実は認め、後段の事実は否認し、その主張は争う。

6 同8の事実は知らず、その主張は争う。

7 同9の主張は争う。

(被告県)

1(一) 請求原因1(一)の事実は知らない。

(二) 同1(二)の事実は認める。

2(一) 同2(一)の事実は認める。

(二)(1) 同2(二)(1)の事実は認める。

(2) 同2(二)(2)の事実のうち、第一段の事実は認め、第二段の事実のうち、本件斜面の傾斜度を除く事実は認め、傾斜度は否認し、第三段の事実は否認する。

3 請求原因3の事実は知らない。

4(一) 同4(一)の事実は認める。

(二) 同4(二)の事実は認める。

(三) 同4(三)の前段の主張は認め、後段の主張は争う。

(四) 同4(四)の事実のうち、本件斜面について急傾斜地法に基づく急傾斜地崩壊危険区域指定の手続をしなかったこと、昭和四七年に被告県が本件斜面の基礎調査を行ったことは認め、昭和四一年に本件斜面の周辺において崩壊事故が起こったことがあることは知らず、その余の事実は否認し、主張は争う。

5 同5の事実のうち、第一段記載の降雨量は否認し、第三段は知らず、その余の事実は認める。

6 同7の主張は争う。

7 同8の事実は否認し、その主張は争う。

8 同9の主張は争う。

三  被告らの主張

(被告会社)

1 本件柵板工土留と建築基準法適用の有無

建築基準法一九条四項の敷地の衛生及び安全に関する規定は、建築物の敷地に関するものであるから、同条項は、本件柵板工土留の敷地について適用されない。また、崖崩れ等の被害の発生を防止する観点からしても、擁壁等の設置義務を負うのは、建築物の建築主、設計者及び工事施工者であるから、そのいずれにも該当しない被告会社は、同条項の適用を受けることはあり得ない。

2 本件柵板工土留の構造・機能と保守管理

本件柵板工土留の設置目的は、本件リフト道床の小規模な盛土を支保するものであるから、本件柵板工土留は、斜面全体の保護を目的とする防災ダムとは全く異なってしかるべきであるところ、本件柵板工土留は、次のような構造、性能を有していたから、本件道床として具体的に備えるべき構造・設置等の性能に欠陥は存在しなかった。

(一) 構造・地耐力

本件柵板工土留は、日本工業規格(JIS)により公認された「鉄筋コンクリート組立土止め」として一般に使用されているもので、本件柵板工土留の材料強度試験の結果では、JIS規格の強度を十分に具備していることが実証されているから、構造上の欠陥はない。

一般に、工作物の基礎地盤が有すべき地耐力とは、基盤の支持力(土の固有の強度と工作物の形状によって決定される。)と沈下に対する二つの要素を検討して、工作物の有する荷重に地盤が耐えられる力を指し、その地耐力は、工作物の荷重の大きさによって決定されるものであるから、その荷重の小さい場合には、有すべき地耐力は、少なくても足りるものであり、常に、工作物の基礎が基盤岩に達する必要はない。そして、本件柵板工土留は、防災ダム等の荷重の大きな施設とは異なるのであって、その基礎は、比較的硬質なレキ混じりシルト層の地山に設置されており、地盤の支持力は一平方メートルあたり一〇トン以上であったのであるから、地耐力の点でも問題はなかった。

なお、本件柵板工土留は、斜面に設置されているが、その背面にかかる土圧・水圧は、それが斜面に設置されているか、平地に設置されているかによって、単純にその大小が決定されるわけではないので、斜面に設置された本件柵板工土留の背面にかなりの水圧・土圧がかかるという原告らの主張は誤りである。

本件事故の際、現実に本件柵板工土留が崩壊したのは、全長二五〇メートル中、約二〇パーセントに当たる五五メートルにすぎないのであるから、このことからも、本件柵板工土留そのものに瑕疵はないというべきである。

(二) 排水能力

本件道床は、南北方向の傾斜が一七度(三〇パーセント)と急勾配であるし、盛土の透水性が低く、道床の表面に日本芝を密生させることにより地表面の保護を行うとともに、常時定期的に刈り込み等の手入れを行うことにより排水機能を保持していたため、鉛直浸透水はほとんど発生しなかったか発生したとしても著しく少なかった。また、本件柵板工土留は、柵板の縦幅が二〇センチメートルであり、これを積み重ねて壁面を構成する構造となっていたため、二〇センチメートルごとに間隙が水平に何段も連続的に分布しており、宅地造成等規則施行令に定める水抜孔の規定の一〇倍の面積の間隙があったから、十分な排水効果があったというべく、裏込め割栗石等が設けられていなかったとしても、本件柵板工の間隙からの排水機能の大きな支障となるものではなかった。

したがって、本件柵板工土留においては、水圧を前提とした強度計算は不要であった。

これらのことは、前記のように、本件柵板工土留の八〇パーセントが崩壊を免れていたことによっても実証されている。

(三) 支柱のクラック

本件柵板工土留の支柱は、鉄筋コンクリート製であるが、鉄筋コンクリートは、鉄筋とコンクリートの複合部材であるから、コンクリート部分にクラックがあったとしても、それによって、直ちに強度低下や部材の破壊には繋がらない。

(四) 玉石積部分と排水溝の設計変更

本件リフト道床山側の玉石積部分については、切り取り斜面の地質がよく、安定しており、法面が短かったので、切り取り勾配を緩くするよう設計変更をしたし、排水溝についても、本件リフト線路方向の勾配が約一七度(三〇パーセント)であることを考慮し本件道床の山側に側溝と路面途中に横断排水溝を設けることにより、本件道床の排水は十分であるとして設計変更した。

(五) 保守管理

被告会社では、営業所長を含めた四名の社員にて本件リフトの保守管理を実施し、索道規則並びに索道設備の検査に関する告示に基づいて、一日検査、一月検査、一年検査、特別検査を実施し、不備な箇所については、必要に応じて補修・改良等の措置を講じていた。

被告会社が、本件柵板工土留について行った主な補修は、次のとおりであり、これによって、本件道床の小規模な盛土を支えるという柵板工の設置目的は十分に果たされており、小規模土留として通常具備されるべき性能には何らの瑕疵はなかった。

(1) 昭和三八年、本件柵板工土留の支柱のうち、傾斜が発生したものについて、これを引き起こし、レールを横に渡して支柱に結び付けるなどの補強をした。

(2) 昭和四一年六月、本件柵板工土留の展望台駅北側付近の柵板工が倒壊したので、その復旧工事を行った。

(3) 昭和四三年七月、本件北側崩壊部の道床の西側の尾根沿い斜面が小崩壊をしたことにより、本件柵板工土留の支柱が折れ曲がり、柵板が外れて背面土の一部が斜面上に堆積したので、本件柵板工土留については折れ曲がった支柱を交換した上、レールをもって補強し、山側小崩壊部分は鉄道の枕木を使用して土留めの補強を行った。

(4) 昭和四七年、本件柵板工土留の展望台駅直下付近の柵板工の支柱が約四メートルにわたって傾斜したので、これを引き起こし、タイバック(ワイヤで後方にけん引)する補強を行った。

3 本件事故における柵板工土留の倒壊の原因

(一) 本件斜面の中下部には断層破砕帯が存在するところ、雨水が、開口亀裂部から破砕帯に侵入し、以前から保たれていた脈状地下水に加わって、その水頭の異常上昇が引き起こされ、その上部の難透水層に水圧をかけ、難透水層も含めた上部斜面による重力に基づく垂直抗力を滅殺し、斜面上の摩擦力を減少させることによって斜面に表層滑落を起こさせるアップリフト崩壊が起こり、また、右地下水の水頭の上昇が著しく強力な場所においては、上部の難透水層が湾曲し、それに伴って、右上昇に引っ張り亀裂が多数発生し、被圧状態にあった地下水水頭は右亀裂から上方に一気に噴出し、また、地表面からの鉛直浸透水による湿潤前線の発達・横流れ浸透流の発生などの条件が加わり、右の下方からの噴出した水とが一緒になり過飽和状態になった土塊が沸騰した水のような攪乱・上昇状態になり崩壊するというボイリング崩壊が発生し、これらにより、中下部は安定性を失い随所において表層滑落を生じて崩壊し、下辺に人工切取部がある本件死亡等事故発生地点に、泥流が集中した(第一原因)。

右アップリフト崩壊ないしボイリング崩壊によって、前面の足元を断ち切られた上方斜面は、浸透能を異にする数層の土層間に形成されていた横流れ浸透水が足元の断面から流出して、その横流れ浸透水を斜辺とする楔型の土層が次々と数次にわたり連鎖反応的に崩壊するというパイピング崩壊が起こり、(第二次原因)、その崩壊が、上部の本件柵板工土留基礎前面まで及んだ結果、本件柵板工土留は、受動土圧を失って崩壊したものである。

したがって、本件柵板工土留の崩壊は、その瑕疵に基づくものではなく、本件斜面の中下部の崩壊によるものである。

(二) このことは、次のようなことから裏付けることができる。

(1) 昭和四九年七月七日から同八日にかけて、静岡市を豪雨が襲ったが、その降雨量は、同月七日午後九時から同月八日午前四時までの七時間に積算雨量四四四ミリ、降雨開始の同月七日午前一一時からこれが終息した八日午前八時までの二一時間に積算雨量五〇八ミリという膨大な雨量をもたらした。右豪雨記録は、静岡地方気象台創設以来未曽有のものであり、確率的に評価すると五八〇〇年に一度という異常な降雨量であった。また、右豪雨に先立って、遡ること三〇日間の先行降雨は477.5ミリ、一〇日間の先行降雨は二四八ミリであって、それらの先行降雨が、地下に滞留しており、崩壊し易い状況をつくっていた。したがって、本件斜面が自然崩壊する条件は、整っていたといえる。

(2) そして、現に、右豪雨によって、静岡市内で一三八四箇所も斜面崩壊が発生しており、同じ賤機山に局限しても一〇九箇所の斜面崩壊が発生し、それらの崩壊斜面には、本件柵板工土留のような工作物の存在しない斜面の方が圧倒的に多く、そのうち、本件斜面と同規模の崩壊が起こった大岩一二二八―一番地の斜面の崩壊は、泥流の発生した自然崩壊である。

(3) 賤機山の斜面は、凹地で、雨水が滞留し易く、その地質とみかん畑等が多数存在することから崩壊し易い要因を有する欠陥斜面であって、崩壊し易い条件を充たしていた。特に、本件斜面においては、地層が、上から透水層、難透水層が存在し、その下に、破砕帯があり、難透水層上に鉛直浸透水による横浸透流が発生していたから、透水層に滑り崩壊や右横浸透流の湧出による狭義のパイピング崩壊が起こり易いのみならず、その下の破砕帯内の地下水の水頭の異常上昇によって、アップリフト崩壊も生じ易く、その圧力が、膨大なものであれば、ボイリング崩壊を引き起こし易い地層であった。

その上、本件死亡等事故の起こった斜面の下辺は、人工的に切り取った部分があったから、この点からも、本件斜面の崩壊は、起こり易い状態にあった。

(4) 崩壊後の本件斜面においては、本件事故前に存在した斜面上の段切り整形部分は、みかんの木とともにほとんどの部分が流出していること、分布している多数の湧水点・小単位の崩落崖・堆積物は、各々横方向に集中した連続性が認められる他、崩落崖の直ぐ下方に堆積物が分布し、右崩落崖の中に多数の湧き水点が認められること、随所に著しく風化破砕された基盤岩の路頭が存在し、かつ、基盤岩内もしくはその側にパイピング噴出口と認められる痕跡が存在すること、湧き水点もしくはパイピング口を浸食始源部とする深い雨裂が多数存在すること、などから、本件斜面では、パイピング崩壊、アップリフト崩壊、ボイリング崩壊及び表層滑り等の複合崩壊が起こったことが裏付けられる。

(5) 本件斜面の安定計算によると、本件斜面の上部の崩壊は、斜面中下部において崩壊した数個の滑りを契機として、右滑りにより上部地層は足元を断ち切られ、地中の横浸透流及び破砕帯地下水の噴出(パイピング)を生じ、逐次上部へと連鎖的に反応が波及したことにより発生したものと実証することができる。

(6) 本件道床の盛土は、前記のように、難浸透性であったから、水圧によって、本件柵板工土留が崩壊することはあり得ない。

(7) 本件柵板工土留が水圧・土圧に耐え切れなくなって崩壊したというのであるならば、その水圧・土圧は、柵板に対して直角に働くので、その崩壊方向は、柵板工の南北方向の線(法線)と直角となるはずであるが、実際には、そのような方向に落下していない。

(8) プレハブ構造の本件柵板工土留が背面の土圧に水圧が加わったことによって崩壊する場合には、その一部が崩壊すると一体性が低いために、柵板がバラバラとなり、背面の土圧・水圧は直ちに失われることになるから、その直下の斜面を最大深さ1.7メートルも抉りとった上、中・下部に堆積することなしに、中下部斜面を削剥するようなエネルギーを有しない。

(9) また、本件柵板工土留がその背面の水圧・土圧の上昇によって崩壊したのであれば、水圧・土圧の条件の悪い部分がすべて崩壊すべきはずであるが、実際には、そのような現象はなく、本件柵板工土留のうち崩壊した部分は、わずかに全体の約二〇パーセントにすぎない。

(10) 本件柵板工土留の崩壊の既往歴をみると、昭和四一年に崩壊した際は、下方斜面の崩壊によって、本件柵板工土留の基礎地盤が崩壊し、それによって、本件柵板工土留の一部が倒壊したが、昭和四三年の崩壊の際には、本件柵板工土留に土圧がかかり、その支柱一本がコンクリート基礎との接合部において切損し、柵板五枚が背面の土砂と共に柵板工の足元に落下したが、本件柵板工土留の基礎地盤及び下部斜面はまったく崩壊しなかった。これらの事例のうち、本件事故の形態は、昭和四一年の崩壊と酷似しているのであって、これらの事例からみても、本件柵板工土留の瑕疵によって、本件事故のように、中下部の斜面ないし柵板工土留の基礎部分である比較的上部斜面の崩壊が招来されることはありえない。

(11) また、崩壊した本件柵板工土留は、長方形で、抵抗の大きい形状であるにもかかわらず、その三分の二が山麓に落下している。

その上、本件柵板工土留の基礎ブロックが、中下部斜面の崩壊後できた雨裂内にはまりこんでいる。

したがって、本件柵板工土留は、比較的上部を含む中下部斜面が、先行して崩壊した後に、抵抗を受ける条件の無くなった斜面を滑るように落下したと考えるのが自然である。

(12) 一般に、斜面の複合崩壊においては、地滑りの場合と異なり、崩壊斜面に樹木等の残存物が点在して残存することはありうることであり、残存物の両側や隣接帯のみが崩壊することも珍らしいことではないから、斜面の残存物の点在は、パイピング崩壊が、数次にわたって、下方から上方へ進行するという斜面崩壊のメカニズムと矛盾するものではない。

4 本件柵板工土留の崩壊と本件死亡等事故との因果関係

本件死亡等事故は、専ら、本件斜面の中下部の崩壊によって形成された強力なエネルギーを有する泥流の発生に基づくものであって、本件柵板工土留の崩壊・落下がなくとも、本件死亡等事故は発生した。

何故ならば、前記のように、本件柵板工土留の崩壊は、本件斜面の中下部の崩壊の後に起こったものであるところ、右中下部の崩壊土量だけでも多量であって、それに雨水が加わって泥流が発生したものであるから、右泥流だけでも本件死亡等事故をもたらすのに十分な要因となり得たからである。そして、現に、本件事故によって被害にあった建物の破壊状態によれば、建物は、泥流によって損壊され、押流されたものと理解するのが最も素直であり、死亡した被害者の死因が泥流による窒息死であることも、本件死亡等事故が泥流によるものであることを裏付けるものである。

5 寄与度減額

仮に、本件柵板工土留が、その瑕疵によって、中下部の崩壊と同時に崩壊したとしても、泥流となって流下した崩壊の面積からすると、中下部の土量は、上部斜面の土量の八ないし九倍を下らないものであるから、本件柵板工土留の崩壊は、本件死亡等事故の発生に全く寄与していないかその寄与度は極めて僅少であるというべく、したがって、本件柵板工土留の崩壊と本件死亡等事故との間に因果関係を肯定するにしても、その寄与度に応じた公平なる損害の減額がなされるべきである。

(被告県)

1 本件リフトと急傾斜地法の適用関係

原告らは、本件事故は、被告会社の所有・占有する本件リフトの瑕疵が原因であるとするところ、本件リフトは、急傾斜地法施行令二条九号の索道として、急傾斜地法七条一項の行為制限の対象から除外されており、同法一〇条の改善命令を発動する前提を欠くものである。このように、急傾斜地法が索道について、その適用を除外している趣旨は、専ら、索道の規制に関する索道規則によってその安全性を確保するとともに、関係工作物の維持管理の徹底を図ることにしたものと解されるから、本件リフトの道床の築造と維持管理について急傾斜地法を適用すべきであるとする主張は失当である。

2 行政権限の裁量性と不行使の違法

行政権限の不行使が違法となるためには、その権限を行使する公務員に法的な作為義務の存在することが前提となるところ、その法的作為義務とは、公務員が国民一般に対して負うべき抽象的、一般的義務を指すものではなく、具体的な場合において、被害者たる個人に対して負う具体的な作為義務であることが必要である。

そして、その公務員は、その権限を行使をするか否かについて広い裁量を委ねられているのであるから、その不行使が違法とされるためには、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の濫用と認められる場合であることが必要であると解すべきである。

そして、裁量権の濫用と判断されるためには、少なくとも、(一)生命、財産に対する高度の危険が切迫しており、(二)行政庁が権限を行使しないことが著しく不合理であることが、通常人に明らかであり、(三)とるべき措置が明確であって、さほど困難を伴わないのに、あえて不作為のままに放置したことの要件が必要であると考えるべきであるが、右(一)、(二)要件を充たすか否かの判断に際しては、被害者と想定される個人から、公務員に対してその権限を行使すべき要請があったか否かが重大な要素とされるべきである。

3 急傾斜地法三条における知事の裁量権

急傾斜地法は、三条において、知事は、急傾斜地の崩壊による災害から国民の生命を保護する等のため必要があると認めたときは、同法七条に掲げる行為が行われることを制限する必要がある土地の区域を急傾斜地崩壊危険区域として指定することができると定めているが、これは、知事に崩壊のおそれがあること、行為制限が必要かどうかということ、指定をするかどうかということの判断について広い裁量権を与えているものである。

また、同法三条では、急傾斜地崩壊危険区域として指定するについては、知事は、関係市町村長の意見を聞く必要があり、かつ、その指定は、必要な最小限のものでなければならないとされているが、このことは、急傾斜地崩壊危険区域指定が私権の制限を伴う等のため、当該区域の実情に精通している地元民の意向を充分反映させ、かつ、慎重な手続により行わせようとするものである。

その上、原告らの主張する昭和四四年局長通達は、地方公共団体に対し解釈の一指針を示したものにすぎないし、そこにおいても、「指定にあたっては、急傾斜地崩壊防止工事を施行したもの、施行中のもの若しくは施行するもの、災害を受けたもの、危険度の高いもの、又は、急傾斜地の崩壊により危害が生ずるおそれのある人家戸数の多いもの等について考慮の上、緊急のものから順次すみやかに指定されたい。」とするものであって、急傾斜地崩壊危険区域として指定するか否かの総合判断は、都道府県知事の広い裁量に任されていた。

4 県の急傾斜地に関する施策

(一) 昭和四四年七月一日に急傾斜地法が施行されたところ、被告県は、昭和四七年事務次官通達に基づき、急傾斜地の崩壊等による災害危険箇所の総点検を実施したものであるが、その調査を行うにあたって、被告県としては、この事務次官通達に記されているような箇所を短期間に、かつ、正確に把握するため、地元の事情を詳しく把握している県下各市町村に本調査の協力を要請して実施し、各市町村から調査をした危険箇所を報告してもらうという方法をとった。

(二) それに対し、静岡市は、まず、四七総点検実施要綱等及び実施要領に基づき、五万分の一ないし二五〇〇分の一の地形図により傾斜度三〇度以上、高さ五メートル以上、人家一戸以上の急傾斜地帯を判読し、これを五万分の一の地形図に図示して急傾斜地帯図を作成した。その結果、静岡市内には、五三〇箇所の急傾斜地帯があり、本件斜面を含む井ノ宮地帯もその一つに当たることが判明した。次に、静岡市は、この地帯内から急傾斜地崩壊危険区域を選定するにあたり、急傾斜地の傾斜度、高さ及び想定被害区域内の人家戸数並びに過去に崩壊があったかどうか、危険であるから善処してもらいたいと付近住民から申し出があったかどうか等の危険の徴表事実を加味して総合的に判断し、これを選定することとし、その結果、井ノ宮地帯からは、井ノ宮、浅間山及び丸山の三箇所を危険箇所として選定したが、本件斜面については、危険箇所に選定するようには報告しなかった。静岡市が、本件斜面を危険箇所としなかったのは、本件斜面は、みかん畑、茶畑として古くから農耕が営まれており、耕作者が、常時斜面を農地として使用していたから、万一、湧き水、亀裂や崩壊等の異常な状態が発生しておれば直ちにこれを把握することができ、関係機関に通報できる等の事情にあるので、自然斜面とは異なり、斜面の異常な状態が容易に把握できる状態にあったこと、また、過去に湧き水、亀裂や崩壊等が生じた記録及び耕作者からの通報もなく、本件斜面下の居住者から危険であるから善処してもらいたい旨の申し出もなかったことによるものである。なお、井ノ宮地帯の調査全般にあたっては、現地調査はなされたものの、本件斜面については、直接踏査はされていないが、それは、右斜面については、前記のように異常があれば、耕作者等から関係機関への通報がされるべき状況であったのに、そのような通報がされていなかったこと、本件斜面は、麻機街道から容易に観察できる状況にあったが、オーバーハングがなかったこと及び担当職員が日常の業務において地形を知悉していたことによるものである。

(三) 被告県は、その後、右昭和四七年の調査に基づき、静岡市長に対し、市が調査箇所とした地域のうち、郷島他八箇所(本件斜面は含まない。)について急傾斜地崩壊危険区域として指定することについての意見を求める他、他に指定すべき地域がないかについても報告を求めたが、静岡市長からは、郷島他八箇所について地元の了解を得る見込がないので指定の意向がないとの回答があっただけで、この時も、本件斜面の指定を希望する旨の回答はなかった。

したがって、被告県は、静岡市の右調査に基づき、本件斜面を急傾斜地崩壊危険区域として指定しなかったものである。

また、仮に、本件斜面が、静岡市によって危険箇所として指定されたとしても、本件斜面には湧き水がないこと及び過去に崩壊例のないことから、危険度Aとは判定されず、急傾斜地崩壊危険区域として指定されることはあり得なかった。このことは、井ノ宮地帯の他の三箇所の危険箇所も急傾斜地崩壊危険区域として指定されなかったことからも明らかである。

なお、急傾斜地崩壊危険区域の指定については、被告県は、昭和四四年河川局長通達に基づき、災害を受けたもの、危険度の高いもの、又は急傾斜地の崩壊により危害が生ずるおそれのある人家戸数の多いものについて、総合的に判断し、地権者等の承諾の得られたものから行っている。

(四) 昭和四九年三月末の被告県における急傾斜地対策の状況は、昭和四七年の総点検による急傾斜地崩壊危険箇所一四六〇箇所、急傾斜地崩壊危険区域指定箇所九五箇所、急傾斜地崩壊防止工事実施箇所三二箇所(内、既成箇所八箇所)となっている。また、この時点における静岡市の状況は、危険箇所二六五箇所、この内、昭和四六年度までの公共事業採択基準に合致する崖高一〇メートル以上、保全人家戸数五〇戸以上の箇所が一五箇所、昭和四七年度からの採択基準二〇戸以上の箇所が八一箇所であるが、本件斜面は危険箇所の中に入っていないし、静岡市内で、急傾斜地崩壊危険区域として指定を受けた箇所はなかった。ちなみに、静岡県下の昭和四八年末における整備率は0.5パーセント、着手率は、2.2パーセントという低率であった。

(五) 被告県は、このような経過で、本件斜面を考えた場合、本件事故発生前において、本件斜面の自然斜面が崩壊する危険が現存することが何人にも明白であるというものではなかったこと、多額の費用(ちなみに、その後の工事等に要する費用は、昭和四九年度五七〇〇万円、総事業計画として二億二〇〇〇万円である。)をかけて崩壊対策事業を実施しなくても、本件斜面下の居住者の保護に著しく欠けることにはならなかったこと、本件斜面が急傾斜地崩壊危険区域として指定されれば、その斜面の所有者や耕作者は、私権の制限を受け、みかん畑、茶畑等の古くから行っていた農耕が困難となることなど、本件斜面下の居住者の利益と本件斜面の所有者、耕作者の私権制限との調整を総合考慮して、当時としては、本件斜面を緊急に急傾斜地崩壊危険区域として指定をする必要がないと判断したものであって、被告県知事の右判断は、その裁量の範囲内であるというべく、具体的な法的な作為義務に違反するものではない。

したがって、被告県の知事が本件斜面を急傾斜地崩壊危険区域として指定しなかったとしても、それが国家賠償法上違法と評価されることはあり得ず、また、その他本件斜面が急傾斜地崩壊危険区域として指定されたことを前提として知事が行使し得る権限の不行使についても、違法とされることはあり得ない。

5 防災工事の期待可能性

仮に、本件斜面が、急傾斜地法施行後の初回の昭和四七年七月からの調査に基づいて、危険箇所とされ、急傾斜地崩壊危険区域として指定されていたとしても、昭和五二年度までに危険箇所とされた全国六万四二八四の危険箇所が、最も危険とされる順に、A、B、Cと分類され、そのうち、Aが三万七四四〇箇所、Bが二万〇一一九箇所、Cが五六〇二箇所であるが、工事施行済みは1.8パーセントにすぎず、Aにおいても、殆ど工事は施行されていないこと、このような実態となったのは、平地の部分が狭い国土で、住宅等が次第に奥地、山間にまで広がり、全国の危険箇所を全面的に安全化することは財政的制約もあって極めて困難なことによるものであり、何れの箇所をどの程度安全化すべきかについては、自然物である河川等と同様の基準で判断せざるを得ないこと、防災工事の施行後完成までに数年の歳月がかかることなど総合勘案すると、本件事故発生時までに、本件斜面について、本件事故を回避する程度の防災工事を完成することについては期待可能性がなかったというべきである。

6 地域防災計画と警戒避難体制

市町村地域防災計画については、本件斜面が急傾斜地崩壊危険区域として指定されなかったので、急傾斜地法二〇条所定の市町村地域防災計画は定められなかったが、本件事故の際、静岡市が現実にした警報の発令、伝達等は、完全なものであったから、急傾斜地崩壊危険区域の指定がなかったことと、本件死亡等事故との間には因果関係はない。

即ち、本件斜面で第一回崩壊が起きたのは、昭和四九年七月七日午後九時五〇分頃であって、これは、すぐ市民の通報によって判明した。そこで、静岡市の対策本部は、消防機関の二〇名を出動させて、午後一一時一〇分に、山沿いの住宅居住者に対し避難するよう巡回広報で指示、勧告したところ、約六〇名の住民が静岡高校に避難した。そして、本件事故がおきたのは、午後一一時五〇分頃であり、本件事故による被害者達は、静岡市の前記指示、勧告に従って避難していれば、本件事故によって死亡することを回避することができたというべく、静岡市の警報の発令、伝達等にぬかりはなかったというべきであるからである。

四  被告らの主張に対する認否

(被告会社)

1 被告の主張1は争う。

2 同2の前段の事実は否認し、その主張は争う。

(一) 同2(一)の事実のうち、本件柵板工土留が、日本工業規格により公認されたものとして一般に使用されていることは認め、その余の事実は否認し、その主張は争う。

(二) 同2(二)の事実は否認し、その主張は争う。

(三) 同2(三)の事実は否認する。

(四) 同2(四)は知らない。

(五) 同2(五)の事実のうち、昭和四一年及び昭和四三年に本件柵板工土留の柵板工が倒壊し、支柱が折れ曲がったことは認め、その主張のような検査・管理が実施されたことは知らず、被告会社が、本件リフトを必要に応じて補修、改良をしていたことは否認する。

3 同3の事実は否認し、その主張は争う。

4 同4の事実は否認し、その主張は争う。

5 同5の事実は否認し、その主張は争う。

(被告県)

1 被告の主張1は争う。

政令による行為制限の除外は、他の法令による規制が急傾斜地法の趣旨に則っているもの及び軽微な行為であって急傾斜地の崩壊の防止に支障を及ぼすおそれが客観的に存在しないものを規定しているものであるところ、索道規則は、索道の利用者の安全性を確保する趣旨の規則であり、周辺住民の安全を保護する目的のものではないから、本件リフトの築造と維持管理については、急傾斜地法の適用が除外されることにはならないと解すべきである。

2 同2の主張は争う。

行政権限の不行使が違法となるか否かの判断にあたり、被害者又は被害者となるおそれのある者から、その権限を行使すべき要請があったか否かを重大な要素とするのは、行政庁と私人との間の危険に対する認識能力の差異を無視するものであり、不当な見解である。

3 同3の主張は争う。

4 同4の事実のうち、急傾斜地法が昭和四四年七月一日に施行されたこと、被告県が災害危険箇所の総点検を実施したこと、被告県が本件斜面を急傾斜地崩壊危険区域として指定しなかったことは認め、総点検の方法、本件斜面については直接踏査はされていないこと、静岡市長の県に対する回答の内容、本件斜面下の居住者から危険であるから善処してもらいたい旨の申し出がなかったこと、は知らず、被告県の知事が本件斜面を急傾斜地崩壊危険区域として指定しなかったとしても、違法と評価されることはあり得ないとの主張は争う。

被告県は、静岡市が本件斜面について崩壊するおそれがないと判断したことから、本件斜面を急傾斜地崩壊危険区域として指定しなかったとしても、急傾斜地法所定の急傾斜地の崩壊防止等の事務は、被告県の固有事務とされているのであるから、同法に基づく権限の行使は被告県の知事の責任と判断においてなすべきが当然であって、仮に、静岡市職員に落ち度があったとすれば、それは履行補助者の過失として、被告県が責任を負うべきものであり、このことは、知事が、本件斜面を急傾斜地崩壊危険区域として指定をしなかったことの正当な理由とはなり得ない。

また、被告県が静岡市に委任して行った調査においては、本件斜面は被害予想家屋数、斜面の長さ、斜面の角度のいずれの点からも、崩壊する危険度が高いのにかかわらず(別紙対照表のとおり)、空中写真による地帯調査、現地踏査、過去の崩壊例の調査もせず、また、昭和四七年事務次官通達によって要求されている急傾斜地崩壊危険区域危険度判定基準を看過して本件斜面を危険箇所として選定することを怠った他、本件斜面下周辺に居住する住民の意向を具体的に確かめるなどもしておらず、全く杜撰な調査にほかならない。

5 同5の事実は否認し、その主張は争う。

6 同6の事実は否認し、その主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一被告会社に対する請求について

一当事者

請求原因1の事実については、いずれも当事者間に争いがない。

二本件事故の発生

昭和四九年七月七日、静岡市地方では、同日夜来午後一一時五〇分までの間に降雨があったこと、本件道床は、同日午後一一時三〇分頃に南側転回塔寄り長さ約二二メートル(南側崩壊)、北側山上駅寄り長さ約三六メートル(北側崩壊)の二箇所にわたって、本件道床盛土とともに崩壊したこと、亡智子、亡喜代子、亡隆久、亡ひさ、亡かう及び亡音吉他二名が右崩壊によって崩落した泥土による窒息等により死亡したことについては、いずれも当事者間に争いがない。

三本件リフトの瑕疵

1  本件リフト施設の概要

(一) 請求原因2(一)の事実、同(二)(1)の事実、同(二)(2)の事実のうち、第一段の事実、同第二段の事実のうち、本件斜面の傾斜度を除いた事実、請求原因3(一)(1)ないし(4)の事実、同(6)のうち、被告会社が、賤機山の尾根下沿いに、横延長三三二メートルにわたって、切土、盛土をして、本件リフトを設置したことについては、いずれも当事者間に争いがない。

(二) 右争いのない事実と、〈書証番号略〉(証人安池忠一の証言)、〈書証番号略〉(別件証人安倍紫朗の証言)、鑑定人古藤田喜久雄及び同大草重康の各鑑定結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(1) 被告会社は、名古屋陸運局より、昭和三四年リフト(甲種特殊索道)の事業免許を受け(名鉄一〇四四号)、同三五年工事施行の認可(名鉄陸九六三号)を得て、リフトの建設工事を行い、同年一一月右工事を完成させ、「静鉄浅間山リフト」の名で、昭和四九年七月七日まで運行営業してきた。

(2) 被告会社が、本件リフトを設置した賤機山は、人家の密集する静岡市街地をほぼ南北に伸びる丘陵である。

(3) 被告会社は、切土、盛土をして、右賤機山南端の浅間神社北東側の「神社口駅」から北々西に尾根下沿いを、尾根づたいに登り、途中向きを北にかえ、標高一一二メートルの「山上駅」に達する本件リフトを設置した。その間、全長三三二メートル、高低差78.5メートルであった。

(4) 本件リフト西側の賤機山の尾根は、静岡市の所有地で、賤機山公園となっている。

(5) 本件斜面は、山林、みかん畑ないし茶畑等でその傾斜度が南側崩壊部分三四度、北側崩壊部分三三度で傾斜度三〇度ないし四〇度の急傾斜地斜面であり、本件斜面の下方には、原告知生方等人家の密集する市街地が続いている。

(6) また、本件斜面は、もともと、異常放射能帯、破砕帯がその地盤に含まれる崩壊の危険がある斜面であった。

2  本件リフト道床の構造

(一) 本件リフト施設のような山地の高所に設置された工作物が崩壊、落下すれば、巨大なエネルギーをもって人命財産を直撃し、重大な損害を及ぼす危険があること、被告会社が、本件リフト設置に際し、ボーリング、サラウディングなどを含む土質、地質、地下水、地形、気象、斜面の履歴等の調査をしなかったこと、被告会社が、本件リフトを設置する際に、切土、盛土をし、本件道床を設置したこと、本件道床山側の法面の土留については、本件リフト開設当初の計画では、玉石張りであり、「玉石張控」壁を設け、その背面に裏込栗石を込める予定になっていたが、そのような工事を施行せず、切り取っただけの自然斜面のままであったこと、本件道床山側の排水溝は、深さ三〇センチメートル、幅三〇センチメートルの設計であったが、実際には設計より小さく造られ、排水溝には蓋も設けられていなかったこと、本件道床谷側の法面には、擁壁を設置せず、本件柵板工土留を設置したにすぎなかったこと、本件柵板工土留は、垂直に自立することにしていたこと、本件柵板工土留の基礎の深さは浅く、しかも風化土層中にあって、その下の固結度の高い基盤岩に打ち込まれていなかったこと、本件柵板工土留には、裏込め排水層が設けられず、水抜孔も設計されていなかったこと、被告会社は、本件道床及び本件柵板工土留を設計するにあたり、本件斜面の安定や土留設計については、経験的な判断にのみ基づいて行い、構造計算などによる具体的な検討はしていなかったこと、本件道床の盛土部分の地表面に芝生が植えられていたこと、本件道床が、その中心からは谷側に傾き、沈下していたこと、昭和四三年に、本件リフト設置箇所の近くで小崩壊があったことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二) 右争いのない事実に、〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人大草重康及び同安池忠一の証言)、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)、〈書証番号略〉(別件原告有限会社円山代表者尋問の結果)、鑑定人古藤田喜久雄及び同大草重康の各鑑定の結果、昭和四九年八月九日及び同年一一月一八日実施の検証の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、〈書証番号略〉もこの認定を覆すに足りるものではない。

(1) 被告会社は、本件リフト、特に、本件柵板工土留を設置するに際し、格別、ボーリング、サラウディング等を含む土質、地質、地下水、地形、気象、斜面の履歴等の調査はせず、経験的判断のみによって、本件リフト設備を設置した。

(2) 本件リフト道床は、山側斜面を切り取って、その土で谷側を盛土することによって、平らに作られており、その幅が約六メートルであって、表面には芝が張られ、谷側が本件柵板工土留によって土留されており、山側には、道床に沿ってコンクリート製の側溝が設けられていたが、山側の法面は、切り取った自然斜面のままになっていた。

(3) 被告会社は、本件リフト開設当初、道床山側の法面の土留を玉石張りとし、「玉石張控」壁を設け、その背面に裏込栗石を込める計画にしていたが、実際にはそのような工事を施行せず、切り取った自然斜面のままとした。

(4) 本件柵板工土留は、無筋コンクリートの連続基礎を設け、その基礎の上端に一メートル間隔で予め柱を立てる穴をあけ、その穴の中に縦一五センチメートル、横一二センチメートルの既成の鉄筋コンクリートの角柱を支柱として立てた上、その支柱間に幅二〇センチメートル、厚さ六センチメートル、長さ二メートルの鉄筋コンクリート製柵板を横方向に渡して組み立てて設置したプレハブ構造の柵板工土留である。

(5) 本件柵板工土留の基礎コンクリートは、断面が台形状で、底面の幅が四五センチメートルから五五センチメートル、上面の幅が約三〇センチメートル、高さが八〇センチメートルから一二〇センチメートルで、この基礎は、深いところで一二〇センチメートル、浅いところで二五センチメートル、平均して七〇センチメートルから八〇センチメートル地中に根入れされていた。

(6) 本件柵板工土留基礎部での表土層の深さは、平均五〇センチメートル位で、その下にレキ混じりシルト層が約2.3メートルの厚さで存在し、更にその下に風化岩が存在し、右レキ混じりシルト層は、一平方メートル当たり一〇トンの荷重に耐えることができる地盤である。

(7) 被告会社は、本件柵板工土留の設置の際に、原則として、その基礎を表土ではなく、レキ混じりシルト層の深さまで根入れすることにしていたが、前記のように、工事の施行は、地質、土質調査等をふまえたものではなかったため、必ずしもすべての地点で正確にレキ混じりシルト層の深さまで根入れするよう施行されたものではなかった。

(8) 本件柵板工土留には、本件リフト設置工事中の柵板工の垂直性を維持するための修正用に、支柱二本ごとに一本の割合で、支柱の頭部が鉄製ワイヤー(直径約四ミリメートル二本)によって結び付けられ、道床内に埋め込んだ木製の控杭に引っ張られていたが、右控杭は腐食しやすい木製であること、ワイヤーにはいずれも錆が発生していたこと、本件柵板工土留が設置後に谷側に傾いたのを補修された際、控杭が抜けたり、ワイヤーが切れたりした部分があったこと等から、本件事故当時には、右ワイヤー及び控杭の支持力は極めて低いものとなっていた。

(9) 本件柵板工土留が直立していることを前提として、その平均的断面(基礎上端から柵板工上端までの高さ一四五センチメートル、地表から基礎上端までの高さ三五センチメートル、基礎の根入れ部六〇センチメートル、基礎底面の幅五〇センチメートル)について、安定率(山側主働土圧と水圧を加えたものを、受働土圧で除したもの。一を下回ると、計算上は崩壊することとなる。)を計算すると(但し、控杭とワイヤーによる支持力は考慮に入れない。)、降雨時に道床内の水位が柵板工土留基礎上端の九五センチメートルの高さまで上がった段階では、安全率は一を越えていて崩壊する危険がないが、水位がさらに柵板二枚分すなわち四〇センチメートル程上がった段階で安全率が一となり、それ以上に水位が上がると、本件柵板工土留は、土圧及び水圧によって、基礎もろとも転倒するかあるいは水平に滑って壊れることになる。

(10) 本件柵板工土留には、特に排水孔は設けられておらず、また、背面には、割栗石等の裏込めによる排水層は設けられていなかった。しかし、本件柵板工土留は、プレハブ構造であることの性格から、柵板と柵板の間に隙間が生じており、その内の三箇所の柵板工における開口部の面積を合わせると、壁面三平方メートルあたり五一〇平方センチメートルとなり、この隙間からある程度の排水が見込まれた。ところが、右隙間は、排水の目的をもって作為的に作られたものではないため、右三箇所においても、広いところでは二〇ミリメートルから二一ミリメートルの隙間があいているが、一ミリメートル以下でほぼ密閉されているところも多く、隙間の分布は、著しく不均衡であった。

(11) 本件リフト施設については、本件道床面の横断の傾斜が、ほぼ中央から谷側へ二パーセントの下り傾斜で、中央から谷側柵板工土留へは水平となっていて、本件柵板工土留の上端と道床面は同じ高さとするように設計されていたが、本件リフト設置後の盛土の沈下や本件道床の柵板工土留側に設置してあった枕木の階段を昭和四六年に撤去した際に地表をならしただけで盛土を足すことをしなかったこと等から、本件事故当時は、道床面は、ほとんどが谷側傾斜となり、本件柵板工土留上端は、道床面より、約二〇センチメートル高くなっていたため、大雨の時には、道床面を流れる水は、本件柵板工土留上端部に集中するような状態であった。

(12) 本件道床山側にある側溝は、深さ及び幅とも三〇センチメートルと設計されていたが、現実には深さ及び幅とも二五センチメートルと小さく作られ、金網等の蓋も設けられていなかった。

(13) 本件柵板工土留は、直立するよう設計されていたが、本件事故前においても、かなり谷側に傾斜した部分もあり、場所によっては、山側に傾斜したところもあった。また、その支柱も、コンクリートにクラックが生じていた部分もあった。

3  本件リフト道床の瑕疵

(一) 構造の簡易性

(1) 前記認定の本件柵板工土留の構造に〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人大草重康の証言)、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)を総合すると、本件柵板工土留は、プレハブ構造の柵板工土留であるところ、斜面に設置される擁壁の構造としては、鉄筋コンクリート造のL型もしくは逆T字型擁壁、控え壁付き擁壁、コンクリートの重力式擁壁、コンクリートブロック等の石材を用いた練石積み擁壁等が一般的であり、本件柵板工土留のような柵板工擁壁は、土木工事の際の仮設構造物としての土留、簡易下水・用排水路・小河川等の護岸の土留、平地における道路ないし鉄道施設等の土留として使用されることが多く、本件のように山の尾根下沿いの急斜面の土留として使用することは特殊な例に属すること、本件柵板工土留は、支柱と壁板との組合せによるプレハブ構造であるため、各部材の接合部や仕口部の関係から、鉄筋コンクリート擁壁に比較して変形に対する粘りや構造の一体性等の点で劣り、一体性の点では、練石積み擁壁と同程度のものであることが認められる。

(2) これに対して、被告会社は、柵板工土留は、JISに定められた「鉄筋コンクリート組立土留メ」として、鉄道、道路、水路等の施設に多数使用されており、特殊な構造ではない旨主張する。しかしながら、被告が右主張に沿う証拠として挙げる〈書証番号略〉の写真の柵板工使用例のうち〈書証番号略〉の事例は、いずれも平地における土留であって、柵板工の背面にそれほど土圧・水圧がかからないものであると認められ、また、〈書証番号略〉の事例は斜面における使用例であるが、高さも低く規模も小さいもので、斜面における一時的な土留のために設置されたものと認められるので、これらの使用例は、本件柵板工土留の使用形態とは異なるものであって、本件柵板工土留の安全性を判断するにあたって参考とすべき使用例にはなり得ないといわざると得ない。僅かに〈書証番号略〉の使用例(同一場所)のみは、斜面の中腹に設置され、柵板工の背面に土圧・水圧がかなりかかる事例であると窺われるが、右写真によれば、右斜面は比較的緩やかで短い斜面であるうえ、右写真のみではこの柵板工土留がどのような地盤、排水状況の下でどのようにして設置され、どのようにして保守・管理されてきたものかが明らかではないから、この一事例をもって本件柵板工土留が急斜面の土留としては特殊な構造ではないとするには足りないものというべきである。

(二) 各種規定の趣旨

(1) 斜面上における建造物に関しては、建築基準法、建築基準法施行令、建築基礎構造設計規準、宅地造成等規制法施行令四条、土地改良事業計画設計基準等に概略以下のとおり規定があることは、いずれも当事者間に争いがない。

① 建築基準法施行令一三六条の三、二項は、山留工事は、地盤調査による地層及び地下水の状況に応じて作成した施工図に基づいて行わなければならないと規定している。

② 建築基準法一九条四項は、崖崩れ、地滑りの危険のある場合には、擁壁を設置しなければならないと規定しているが、これに関連して、建築基礎構造設計規準(昭和二七年一一月)一六条は、基礎構造に関し、(ア)上部構造を安全に支持し、有害な沈下、傾斜等を起こさないよう設計すること、(イ)基礎構造の選択、設計及び施行計画は、敷地の地盤状況に適合すること、(ウ)基礎構造は、直接又は間接に良質地盤に支持せしめ、軟弱地盤の支持に頼ることをなるべく避けることなどを要求している。また、同規準三一条は、擁壁の設計に関し、(ア)基礎底面の最大応力度は、許容地耐力度を超えないこと、(イ)擁壁の転倒モーメントは安定モーメントを超えないこと、(ウ)擁壁に作用する土圧の水平分力は基礎底面の摩擦抵抗力を超えないことを要求する他、(エ)水圧を考慮しない場合には、排水について適当な処理をすることを要求しているところ、同規準については、一般に、土圧その他の力に対して沈下、転倒、水平移動等のないよう全体としても安定を考慮してその基礎底面の幅を決定し、その後、各部分をその応力に対し安全であるように設計することを要求する他、地下水、雨水等の排水処理を適当に行わなければならず、特別に水圧を考慮して行う場合以外は擁壁背面に地下水、雨水等が停滞しないように排水処置を適当に行うこととされ、その方法としては、擁壁に排水孔を設け裏込め土に適当な砂利を配置する方法が挙げられ、排水が、基礎底面の下部に流れこまないように処置することが要求されていると理解されている。

その他、建築基礎構造設計規準(昭和三五年一月二〇日)四八条は、土圧及び水圧に対し、安全な構造及び耐力を有するものでなければならない旨規定し、また、同規準四五条は、擁壁の設計、特に排水に関して、擁壁背面土の排水に関して十分な処置をしなければならず、この処置ができない場合には、水圧を考慮しなければならないとする他、農林省土地改良事業計画設計基準(昭和三一年一二月一日)においても、擁壁の設計上の注意として、過剰な水を排水することが要求されている。

その上、建築基準法施行令一四二条三項は、擁壁の構造について、擁壁の裏面の排水をよくするため、水抜穴を設け、擁壁の裏面で水抜穴の周辺に砂利等をつめることを要求している他、同条四ないし六項において、特に排水孔について考慮しなければならないとされている。

宅地造成等規制法施行令四条は、切土または盛土をする場合においては、崖の上端に続く地盤面は、特別の事情がない限り、その崖の反対方向に雨水その他の地表水が流れるように勾配をとらなければならないと規定し、本件道床に該当する地盤面についての勾配の準則が示されている。

そして、本件リフト設置後の昭和三六年に制定された宅地造成設計基準等規制法は、地盤の土質並びに斜面の傾度及び擁壁の高さに応じて、鉄筋コンクリート擁壁あるいは石詰み擁壁などの構造を定め、また、壁の見付け面積三平方メートルに一個あたりの割合で水抜孔を設け、水抜孔の内径は、7.5センチメートル以上とすることを要求している。

(2) 右法令の趣旨に鑑みれば、本件道床には、右各規定の直接の適用はないとしても、本件道床は、前記のとおり急傾斜地の上部にあり、本件柵板工土留は、鉄筋コンクリート製であって、前記のような重量のある大規模建造物であるところからすれば、その崩壊による危険は、むしろ、前記各規定の通常想定する建造物の崩壊によるものより著しく大きいものであるというべきであるから、その通常備えるべき安全性を判断するにあたっては、前記各規定の趣旨を考慮することが必要不可欠であると解すべく、したがって、本件リフトの崩壊による危険性の程度に照らすと、本件道床ないし本件柵板工土留が、前記各規定の趣旨に反するものであるならば、他に特段の事情のないかぎり、それが通常備えるべき安全性を有しない瑕疵のある建造物であると解するのが相当である。

(三) 本件柵板工土留の瑕疵

(1) 本件柵板工土留は、3(一)で認定したとおり、急斜面上の土留としては特殊な構造であるうえ、2(二)(1)ないし(8)で認定したところによると、本件柵板工土留が直立していたとすれば、通常の土圧に対しては、安定を保つことができるはずの構造であったとはいうものの、本件柵板工土留の盛土に、降雨等に基づく鉛直浸透水が一定程度滞留すれば、その水圧によって、安定を保つことができなくなる構造であったところ、同(13)で認められるように本件柵板工土留には直立していない部分もあったため、強度はより弱かったというべきである。そして、同(3)、(9)ないし(12)で認定したことによると、山側斜面を設計と異なり玉石張りとしなかったため、その崩壊によって本件柵板工土留を破壊する危険があった他、崩壊による土砂の堆積により滞留水を発生させる可能性があり、本件道床上部についても、本件柵板工土留が本件道床面より高かったため、水の滞留を招きやすく、道床の勾配も、谷側が下となっており、本件道床上の側溝も設計より小さく作られていたため、道床上部の水の排水のための施設としては不十分であった等の理由から鉛直浸透水が発生し易い構造となっており、また、排水孔及び裏込め栗石等の排水孔へ浸透水を導く設備が設けられていなかったため、道床内に滞留した水を排水する設備も不十分なものであったものであり、道床内の鉛直浸透水による水圧の発生を防止することのできない構造であったといわざるを得ない。

(2)① これに対して、被告会社は、本件道床表面には芝が張られ、南北方向に平均一七度という大きな勾配がとられていたので、道床上の表流水は、道床上を北から南に一気に流下し、表流水が本件道床内部に浸透する余地がないから、谷側片勾配が本件柵板工土留の安全性を阻害することにはならない旨主張し、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言及び鑑定人古藤田喜久雄の鑑定結果)中にはこれに沿う部分がある。

しかしながら、平均勾配は、右のとおりであるとしても位置によってその勾配や表流水の浸透の度合いも異なるし、また、本件道床表面が谷側に傾いていれば、道床表面に芝が張られ、南北方向に平均一七度の勾配になっているとしても、表流水は、本件柵板工土留上端に寄って南に流下し、本件柵板工土留背面に水が浸透し易くなることは、経験則上容易に窺われるところであるから、本件道床の谷側への片勾配が擁壁の安全性を損ない、あるいはこれを減殺しているものといわざるを得ない。

② また、被告会社は、本件道床盛土は、透水係数の著しい低い土であるから本件柵板工土留背面土への浸透水の発生がほとんどない旨主張し、それを裏付ける証拠として、鑑定人大草重康の鑑定結果における本件柵板工土留盛土の透水係数の調査結果と〈書証番号略〉を援用する。

しかしながら、鑑定人大草重康の鑑定結果によれば、同鑑定人による右浸透係数の調査は、本件道床盛土のうち土のみをサンプルとして採取して、試験したものであることが認められるところ、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、本件道床の盛土は、レキ混じりの土でレキの中にはこぶし大以上のものも含まれていること、比較的大きな石等が土中にある場合、重力等で土が次第に締まって安定してゆく過程で石の周囲が締まり難いために、透水係数が大きくなり、流速が大きくなって、その周囲が浸食されてゆく可能性があること、土中に木の根や草の根等が混在していると、これらが腐食する等の理由によってそこに水道ができて水が浸透し易くなること、本件道床は、山側斜面を切り取ってその土で谷側を盛土しているため、地山の表土に含まれていた木の根や草の根等が混入していた可能性が高いことが認められるところであるから、本件道床盛土から採取された土の試験結果において透水係数が低く出ても、そのことによって直ちに本件道床盛土への鉛直浸透水の発生が否定されることにはならないというべきである。

また、〈書証番号略〉の田中・沖村報告書によれば、神戸大学教授田中茂と同大学助手沖村孝が共同して、本件崩壊斜面の五二箇所の測点において鉄製円形モールドを約二センチメートル土中に打込み、このモールド内に常に水深五ミリメートルの水を湛水させるように外部から水を連続的に補給し単位時間毎の水の補給量を計測する方法による浸透能の測定を行った結果として、土の浸透能は、赤褐色土1445.66(㎜/hr・以下同じ)、黒褐色土960.45、黒色土183.54、黄褐色土136.10、基盤岩(風化)605.91であり、本件リフト道床山側斜面切土が23.85、本件道床盛土が217.26、山頂広場が37.90であったとしているところ、これによれば、本件道床盛土は、南北崩壊斜面の表土を形成する赤褐色土や黒褐色土に比べると浸透能が低いことが認められるが、山頂広場などに比べると浸透能が遙かに高いことが明らかであるから、右測定結果によっても、本件道床の盛土が崩壊斜面の表土に比べるとやや難透水性の土であるということはできるものの、直ちに本件道床盛土への鉛直浸透水の発生を否定する根拠にはなりえないというべきである。

右の認定判断に反する〈書証番号略〉の記載は、当裁判所の認定に沿わない事実を前提とする判断ないし独自の見解にすぎず、たやすく採用することができない。

③ 更に、被告会社は、本件道床がターンテーブル付近の木製道床と接する「出隅」部分は、南と東の二面が鍵の手状に柵板工土留と枕木で支えられているため、本件柵板工土留の南北崩壊部分より遙かに条件が悪いのにもかかわらず、本件事故時において倒壊を免れていることからすると、本件事故において、南北崩壊部分の本件柵板工土留が背面からの土圧及び水圧によって独自に崩壊したとは考えられない旨主張する。

しかし、〈書証番号略〉(別件証人大草重康の証言)によると、本件柵板工土留に対する盛土内の水圧のかかる程度を正確に判断するためには、付近の等高線の分布等を具体的かつ詳細に検討しなければならないところ、ターンテーブル付近については等高線によっても、崩壊した本件柵板工土留に比べて水圧がかかり易いとは認められないし、また、〈書証番号略〉(別件証人大草重康の証言)及び弁論の全趣旨によると、一般的に、河川の堤防の崩壊の事例においても、水位という観点では、その最も高く上がるべき河口部分が崩壊するはずであるが、実際には地形や堤防の強度等の影響もあって必ずしもそのような事態となっていないことが認められ、このことからすると、本件柵板工土留においても、具体的な道床部分の傾斜、付近の地形、山側から落下してくる雨水の角度、量、本件柵板工土留の基礎の根入れの深さ、基礎部分の土の地層の状況によって、概括的な考察とは異なることもありうべく、また、前記のように、本件柵板工土留は、場所によってはかなり傾斜した部分もあったことが認められ、その傾斜の程度によって強度が異なるべきことも容易に推測できるのであるから、ターンテーブル付近が崩壊し易いとする概括的、一般的な判断を、絶対的なものであることを前提とする被告会社の主張の根拠は極めて薄いというべきであり、更に、〈書証番号略〉(別件証人安倍紫朗の証言)、昭和四九年八月九日施行の検証の結果によれば、南側崩壊部分の南端から約一〇メートル山麓駅寄りの地点から右「出隅」部分にかけては、本件事故前年の昭和四八年に、柵板工の支柱を引起し、鉄パイプで控杭をとってタイバック(ワイヤーで後方に牽引)する補強が行われていたことが認められ、右タイバックは、前記の本件リフト施設設置の際に設けられた木杭とワイヤーによる牽引に比べると本件柵板工土留の支持力は極めて高いと考えられるので、このようなタイバックのなされていなかった南北崩壊部分に比べて右「出隅」部分の本件柵板工土留が条件が悪かったとはいえず、被告会社の右主張は、にわかに採用することができない。

(3)  以上のとおり、本件柵板工土留は、豪雨時に背面からの土圧及び水圧によって崩壊する危険があるというべきところ、本件柵板工土留は、降り始めからの積算雨量が、約229.5ミリに至るまでに崩壊しており、〈書証番号略〉によれば、この程度の降雨量は、静岡地方気象台の過去の観測データーにおいても数回あることが認められるので、本件斜面がおよそ三〇度ないし四〇度の急傾斜地となっており、その下方に原告らを始めとする本件事故の被災者の建物が多数所在していたことを考慮すると、本件柵板工土留は、山の尾根下沿いの急斜面の土留として通常要すべき安全性を欠いており、瑕疵があったと判断せざるを得ない。

四本件事故と本件リフトの瑕疵との因果関係

1  本件斜面崩壊等の態様

(一) 本件事故時の降雨量

〈書証番号略〉及び鑑定人古藤田喜久雄の鑑定の結果によれば、静岡市曲金所在の静岡地方気象台の観測データーでは、昭和四九年六月二七日から本件事故の前日の同年七月六日までの一〇日間の降水量が合計二四八ミリ、本件事故当日の同年七月七日の午後九時までの積算雨量が二二ミリ、午後一〇時までが98.0ミリ、午後一一時までが169.0ミリ、午後一二時までは229.5ミリ、本件事故翌日の同年七月八日の午前一時までの積算雨量が275.5ミリ、午前二時までが339.5ミリ、午前三時までが390.0ミリ、午前四時までが466.0ミリ、午前五時までが481.5ミリ、午前六時までが495.0ミリ、午前七時までが507.5ミリ、午前八時までが508.0ミリであったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして、〈書証番号略〉によれば、集中豪雨の場合は、局所的に強雨があるのが普通であり、本件の七夕豪雨の場合も、ほんの僅かな距離しか離れていない地点で非常に異なる雨の降り方をしていること、静岡大学の木宮一邦・岩橋徹両教授は、静岡近傍の一九の観測地点の観測資料をもとに時間毎の積算等降雨量線図を描き、これによって、本件の南北崩壊斜面における昭和四九年七月七日の午後一一時一〇分までの積算雨量を一五〇ミリと推定していること、右両教授による同日午後一〇時から一二時までの積算等降雨量線図である〈書証番号略〉(別件〈書証番号略〉の第一八図、第一九図、第二〇図、本件〈書証番号略〉の第一八図、第一九図、第二〇図)においては、曲金の静岡地方気象台の観測地点より本件の南北崩壊斜面の方が積算雨量が少ない方に描かれていることが認められるので、本件の南北崩壊斜面の同日午後一〇時ないし午後一二時までの積算雨量は、前記の静岡地方気象台の積算雨量のデーターより若干低めであったと推定するのが相当である。

(二) 本件事故発生の経過

(1) 〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人大草重康の証言)、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)、〈書証番号略〉(別件原告斎藤定明及び同望月鴻男各本人尋問の結果並びに証人後藤芳郎の証言)、〈書証番号略〉、鑑定人古藤田喜久雄及び大草重康の各鑑定の結果並びに原告知生本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

① 昭和四九年七月七日午後九時頃から、静岡地方に雨が本格的に降り出し、午後九時三〇分頃から、本件斜面下の道路に水が溜り始め、側溝から水が溢れるようになった。そして最初は、側溝につまった水が流れ出したものであったが、午後一〇時頃になると、水が路面全体に広がって流れるようになり、午後一一時頃には、別紙建物配置図記載の円山マンション東側のバス通りにまで水が溢れ出した。

② 午後一〇時頃、南側崩壊斜面の裾部にある田村宅山裾の玉石積擁壁が小崩壊して別紙建物配置図の田村宅納屋2を全壊させ、また、山側からの流水によって田村宅納屋3が、斎藤宅との間の道路に滑り落ちて道路を塞いだ。

③ そして、午後一一時一〇分頃から三〇分頃までの間に、雷のような音とともに南側斜面において一回目の大崩壊が発生し、押し寄せた土砂その他の落下物によって、斎藤宅との間の道を塞いだ状態にあった田村宅納屋3が、斎藤宅の三畳間と六畳間の間に突っ込んだ。

④ 田村宅納屋3が突っ込んだ後、斎藤定明が、外に出て見たところ、田村宅納屋3の山側及び納屋のまわりは、土砂が山のようになっていたが、このときには、望月・橋本宅前の道路には土砂がほとんどなく、通行も可能であった。

⑤ そして、午後一二時少し前頃、ジェット機が低空飛行したような轟音がして、賤機山の斜面に二回目の大崩壊が発生し、北側崩壊斜面から、松源寺の門前あたりまで土砂等の落下物が押し寄せ、望月宅にも、別紙建物配置図のの方向から土砂が進入した。

⑥ 二回目の大崩壊の五分から一〇分位後に、やはりジェット機が飛んでくるような金属音とともに三回目の大崩壊が発生し、北側崩壊斜面から押し寄せた土砂等の落下物によって、別紙建物配置図の水谷宅等の家屋が押し潰された。

(2) 〈書証番号略〉(別件原告望月鴻男本人尋問)中には、午後一〇時頃に田村宅納屋が斎藤宅の玄関に突っ込んだ旨の記載部分があるが、〈書証番号略〉の静岡市役所発行「七夕豪雨」の抜粋には、「丸山町、七日二三時一〇分、排水管がいっ水、一部床下浸水、賤機山南面崩壊のおそれあり、特に山下の寺院が危険と認む。」と記載されていることからすれば、午後一一時一〇分の時点では、いまだ本件斜面に大規模な崩壊が発生していないとみられること、また、望月鴻男自身、田村宅納屋が斎藤宅に突っ込んだ後も、山が崩れるという感じがしなかったとも供述しているので、望月鴻男は、午後一〇時頃に発生した田村宅納屋3が道路を塞いだ事実と、その後に発生した南側崩壊斜面の大崩壊によって田村宅納屋3が斎藤宅に突っ込んだ事実とを混同しているか、思い違いをしているものと窺われ、右記載部分も前記認定を左右するものではないというべきであり、他に、右認定を左右する証拠はない。

(三) 本件事故前後の斜面下の状況

〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件原告有限会社円山代表者本人尋問の結果、原告斎藤定明及び原告望月鴻男各本人尋問の結果、証人後藤芳郎の証言)、〈書証番号略〉及び鑑定人大草重康の鑑定の結果によると、本件事故前の斜面下の建物の位置は、別紙建物配置図記載のとおりであること、南側崩壊部分から押し寄せた土砂その他の落下物によって、田村宅納屋1が半壊し、また、土砂の侵入をも受けて納屋2が全壊し、納屋3が斎藤宅に突っ込んだこと、北側崩壊斜面から押し寄せた土砂その他の落下物によって、別紙建物配置図の望月宅の一階が壊されて足元をすくわれた形で建物が北側に傾き、同図の岡村宅、高橋宅、水谷宅、海野宅が全壊し、斎藤宅にも土砂が侵入し、橋本宅、宮窪宅、後藤宅、松源寺が半壊し又は土砂の侵入を受けたこと、また、他にも岩崎宅が半壊し又は土砂の侵入を受けたこと、本件事故後、本件斜面下には、泥水が滞留したこと、崩壊した本件柵板工土留部材の一部は山麓に落下し、本件事故後、右各建物敷地跡から多数の本件柵板工土留の部材が発見されたことが認められる。

(四) 本件事故後の本件斜面の状況

(1) 〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人大草重康の証言)、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)、〈書証番号略〉(別件原告有限会社円山代表者本人尋問の結果)、鑑定人古藤田喜久雄及び同大草重康の各鑑定の結果並びに昭和四九年八月九日及び同年一一月一八日施行の各検証の結果を総合すると、以下の事実が認めることができる。

① 北側崩壊斜面は、高さ約八〇メートル、幅約三四メートル、延長約一四三メートル、面積約四〇〇四平方メートルであり、南側崩壊斜面は、高さ約六二メートル、幅約一九メートル、延長約一二六メートル、面積約二三九四平方メートルである。

② 本件斜面の崩壊の概要は、別紙平面図に図示されるとおりであって、その箇所は、展望台駅よりわずかに下がったところの本件柵板工土留の長さにして約三五メートルの部分及びその直下から下端までの斜面と、それよりさらに南側にリフト道床をやや下がったところの本件柵板工土留の長さで約二〇メートルの部分及びその直下から下端までの斜面とであって、その中間の本件柵板工土留及びその直下のみかん畑等の斜面は、いずれも崩壊を免れた。

崩壊の形状は、山頂の本件柵板工土留の崩壊箇所を頂辺として長方形に近い。

③ 崩壊した本件柵板工土留の裏込め土には円弧上のすべり面が認められ、崩壊部分に接続した本件柵板工土留は、支柱の頂部が谷側に傾き、一部で柵板ははずれた状態であった。

④ 崩壊した本件柵板工土留の部材は、斜面及び山麓に落下したが、各部材は比較的よく原型を留めており、連続基礎の残骸も三メートル内外の長さに分割したような状態で斜面上に点在しており、中間未崩壊部分の北側崩壊部分寄りの位置や南側崩壊部分の南に隣接する未崩壊部分にあるものや、深い雨裂にはまりこんでいるものもあった。

⑤ 南北各崩壊斜面とも、その最上部は、本件柵板工土留部分の直下からえぐられたような形で円弧状に崩壊しており、これらの崩壊は、北側崩壊斜面の中では、一単位としては最も大きなものであり、最も深い部分で深さ1.7メートル、南側崩壊斜面の中でも、一単位としては、比較的大きなものであって、最も深い部分で深さ1.3メートルであった。

⑥ 南北各斜面とも、中下部においては、全体的には、地表面付近の土が、ごく浅く流出した状態の表面浸食が多く認められ、その他、浸食始源点のある深い雨裂浸食、中腹から上部にかけて風化岩が露出した状態等の小単位の態様の異なった崩壊が複合的に形成されている。

⑦ 南北各斜面とも、崩壊前に表面に植生していたみかんの木の大部分は、斜面から崩壊してしまって残存しておらず、その植生のための畑の段差も一部しか残っていない。

⑧ 中下部斜面には、黒ボクの堆積しているところが偏在している。

⑨ 北側崩壊斜面に残った円形水槽は、北側崩壊斜面の標高八五メートル付近に位置し、右円形水槽は、水槽の山側上端から谷側下端に向けて斜めに切り取られる形で壊れている。

⑩ 北側崩壊部分の標高五五メートルから八五メートル付近にかけて、崩壊前の表土であった黒ボクが数箇所残っており、標高五五メートル付近にみかんの木が一本、標高二八メートル付近に楠木の切株一本がそれぞれ残存している。

⑪ 南側崩壊斜面の標高七五メートルから八二メートル付近にかけては、さといも三本、お茶の木二本、みかんの木三本が、崩壊斜面を横断する形で点々と残存しており、残存しているみかんの木の中には、頭を下にした状態で倒れ、その幹の表皮が削り取られているものがある。

⑫ 南側崩壊斜面の標高四〇メートルから六五メートル付近にかけては、農道及び階段が縦方向に連続して残存し、標高五三メートル付近には、みかんの木が一本、四五メートル付近には、四角の水槽が残存し、右水槽は、北側崩壊斜面に残存するものと同じく、水槽の山側上端から谷側下端に向けて斜めに切り取られる形で壊れている。

⑬ 南側崩壊斜面の標高三五メートル付近には、表層がえぐられたために、犬の骨が露出し、また、標高三〇メートルから四五メートル付近にかけて、数箇所崩壊前の表土であった黒ボクが残存している。

⑭ 北側崩壊斜面の裾部には人工切取部があり、本件事故以前は、そこに農道の一部として橋が架けられており、また、南側崩壊斜面の裾部には、田村宅裏の玉石積擁壁があったが、本件事故によっていずれも破壊されている。

⑮ 北側崩壊斜面裾部の人工切取部からは、本件事故翌日の昭和四九年七月八日に、湧水がみられた。

(2) 〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)中には、前記⑤記載の南北斜面とも本件柵板工土留直下には比較的大規模な円弧滑りが存在しない旨の記載があるが、右記載は、アジア航空作成の航空写真判読結果であるところの〈書証番号略〉の記載に照らし、たやすく採用することができない。

また、〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人大草重康の証言)及び鑑定人大草重康の鑑定結果には、北側崩壊部分直下の斜面崩壊の平均的深さは斜面に垂直に平均して二メートル、南側崩壊部分については1.5メートルである旨の記載があるが、その認定の根拠は必ずしも正確なものとは見られず、〈書証番号略〉の記載に照らし、にわかに採用することができない。

(五) 本件道床の山側斜面の崩壊

(1) 〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人大草重康及び同安池忠一の各証言)、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)、〈書証番号略〉(別件証人有限会社円山代表者本人尋問の結果)並びに鑑定人古藤田喜久雄及び同大草重康の各鑑定の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

① 北側崩壊より北側にあたる展望台駅よりやや下がった位置で、本件道床より山側にある斜面に小崩壊があり、崖下にあたる本件道床等を崩壊土砂で埋めた。

② 本件道床山側斜面の崩壊部分から流れ出した土砂の流出跡は、大きく二筋に分かれて道床東側急斜面まで繋がっており、その一筋は、山側斜面の崩壊部分直下から道床面の自然傾斜に沿ってやや広がる形で道床を横切って流れ、他の一筋は、山側斜面の崩壊部分から道床山側排水溝を埋めて北側崩壊部分のほぼ中央付近において道床を横切って東側急斜面に流れている。

③ 本件道床山側斜面の崩壊部分の崩壊土量は、約五立方メートルであるところ、山側崩壊部分直下から道床を斜めに横切っている一筋には、レキが散らばっているが、道床の芝生の上には土砂が薄く堆積しているのみで、山側斜面に生えていた草の堆積はなく、北側崩壊部分中央付近で道床を横切っている一筋には、山側斜面に生えていた草が土砂とともに堆積しているが、堆積した土砂の量は、それほど多くはない。

④ また、右二筋の土砂流出跡の間の本件道床面には、土砂の堆積は少なく、芝生が表面に現れているが、レキが一面に散らばっている。

⑤ 北側崩壊部分の南端の残存リフト擁壁には、山側崩壊部分に生えていた草が引っ掛かっている。

(2) 右土砂及び草等の流出状況からすれば、山側斜面の崩壊により押し出された土砂・草等が山側排水溝を埋めるとともにリフト道床上に堆積し、その後も降り続く激しい降雨によって押し流された土砂や草は、道床面の南北の勾配と谷側への勾配のために、本件柵板工土留裏側部分に滞留してその最下部は、北側崩壊部分の南端部にまで達し、その後二回にわたって発生した北側崩壊部分の崩壊によって、本件柵板工土留背後に集まっていた土砂・草が本件柵板工土留とともに東側急斜面に流れたと推認するのが相当である。

(3) これに対して、被告会社は、山側斜面の崩壊は、二回にわたって発生した北側崩壊部分の崩壊の中間に発生したものであると主張し、その根拠として、北側崩壊部分北端の残存する本件柵板工土留基礎背面に山側斜面の崩壊によって落下したと思われる岩石がはまり込んでいるとの事実を援用する。

確かに、〈書証番号略〉、昭和四九年一一月一八日付検証の結果によれば、被告会社主張の部分に高さ五〇センチメートル、幅四〇センチメートル位の岩石がはまり込んでいることが認められるが、〈書証番号略〉によれば、山側斜面からの崩壊土砂は、崩壊部分直下から道床面の自然傾斜に沿って南東方向に道床を横切って流れており、右崩壊土砂の流れと岩石がはまり込んでいた残存擁壁との間の芝生には、土砂が流出した痕跡がないことが認められ、このように崩壊土砂の流出が道床の南北方向の勾配によって南東方向に流れているのに、その中に含まれていた岩石のみ山側崩壊部分から道床上を直角に横切って転がり残存する本件柵板工土留基礎背面にはまり込むのは不自然であるから、この岩石が山側崩壊部分の落石であるとは断定できず、したがって、岩石が本件柵板工土留基礎背面にはまり込んでいる事実も、北側崩壊部分の崩壊が山側斜面の崩壊に先行して発生したことの根拠にはなりえないというべく、また、被告会社が主張するとおり、山側斜面の崩壊に先行して北側崩壊部分の崩壊が発生していたとするなら、山側斜面に生えていた草等は、すべて東側急斜面に落下してしまい、北側崩壊部分南端にまで達することはなかったものというべきであるから、被告会社の右主張は、採用することができない。

(六) 本件斜面から崩落した土砂及びコンクリートの量

(1) コンクリートの量

① 〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(証人大草重康の証言)並びに鑑定人古藤田喜久雄及び同大草重康の鑑定の結果を総合すると、(ア)本件事故によって本件柵板工土留は、南側崩壊部分において約二四メートル、北側崩壊部分において約三八メートルにわたって崩壊したが、この崩壊部分のコンクリートの重量は、支柱が、南側崩壊部分二四本で約2.16トン、北側崩壊部分三八本で約3.42トン、柵板が、南側崩壊部分約7.25トン、北側崩壊部分約11.25トン、基礎が、南側崩壊部分約16.8トン、北側崩壊部分約26.3トンで、合計すると、南側崩壊部分が約26.21トン、北側崩壊部分が約40.97トンであること、(イ)右本件柵板工土留部材のうち、基礎コンクリートが六個、支柱が約一五本、柵板が四〇枚以上南北崩壊斜面上に止まり、残りが山麓に落下したが、このうち、南北崩壊斜面に止まった基礎コンクリートの合計重量は、約19.8トンであり、また、山麓において、本件事故後、基礎コンクリートの大きな塊が一六個搬出されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

② 右認定の事実からすると、崩壊した本件柵板工土留部材のうち、約三分の二が山麓に落下したものと推認するのが相当である。

③ 鑑定人大草重康の鑑定結果には、静岡市街路課が、本件南北崩壊山麓の土砂及び本件柵板工土留の基礎部分に該当するコンクリートブロックの搬出量を調査した結果、コンクリートブロックは、7.56立方メートルであった旨の記載があるが、前記認定のように、崩壊した基礎の重量合計が43.1トンであって、南北崩壊斜面上に止まった基礎六個の重量は約19.8トンであるから、静岡市街路課の右調査結果は、にわかに信用することができない。

(2) 土量

① 〈書証番号略〉(証人大草重康の証言)並びに鑑定人古藤田喜久雄及び同大草重康の鑑定の結果を総合すると、(ア)静岡市街路課が、本件南北崩壊斜面下の土砂及び搬出量を調査した結果、土砂は約二四〇二立方メートルであったこと、(イ)本件道床盛土部分の崩壊土量は、南側崩壊斜面部分が約三九立方メートル、北側崩壊斜面部分が約一二四立方メートルであったことが認められる。

② 〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)中には、同人が鑑定書において記載した崩壊土量の数字(南側崩壊部分約四〇立方メートル、北側崩壊部分約一三〇立方メートル)は、本件道床盛土のみならず本件柵板工土留が基礎から崩壊したことによって削られた表層の土量も含んだ数字であるとの記載部分があるが、右数字が、南北崩壊部分とも鑑定人大草重康による本件道床盛土のみの崩壊土量の鑑定結果とほぼ一致すること、古藤田喜久雄の鑑定書には、「道床盛土の崩壊部分の体積を測量した結果によれば」と明白に記載されていること、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)においても崩壊土量のうち本件道床盛土以外の部分の計算根拠を示していないことなどと対比すると右記載部分は、必ずしも正確なものではなく、これによって前記認定が左右されるものではないというべきである。

③ 前記認定の事実に、〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人大草重康の証言)及び鑑定人大草重康の鑑定の結果を総合すると、本件柵板工土留の南北崩壊部分とも、その直下からえぐれたような形で比較的大きな単位で斜面が崩壊しており、鑑定人大草重康が、右部分の崩壊土量を、北側崩壊部分直下の斜面崩壊の最大の深さを四メートル、南側崩壊部分直下の斜面崩壊の最大の深さを三メートルであることを前提として計算したところ、北側崩壊部分直下が1187.5立方メートル、南側崩壊部分直下が337.3立方メートルであること、しかし、北側崩壊部分直下の斜面崩壊の最大の深さは約1.7メートル、約1.3メートルであることが認められる。

右認定の事実と右崩壊部分直下がもともと凹地であったと考えられなくはないことからすると、北側崩壊部分直下の崩壊土量及び南側崩壊部分直下の土量は、鑑定人大草重康の前記計算に基づく崩壊土量の約半分程度であったと推認するのが相当で、右推認を妨げるに足りる証拠はない。

2  本件斜面の地層、地下水の状況等

〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)、〈書証番号略〉(別件証人田中茂の証言)及び鑑定人古藤田喜久雄の鑑定の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一) 本件道床東側斜面の地層は、地表面から、透水性の顕著な赤褐色土、黒褐色土、難透水層の黒色土、黄褐色土、その下部に透水性の顕著な風化破砕岩が存在し、場所によっては上位三層(赤褐色土及び黒褐色土と難透水層の黒色土)の順序が異なることもある。

(二) 南北崩壊斜面の中下部には、多数の小単位の崩壊が雨裂とともに形成されているが、斜面全体にわたり、湧水点と推定しうる雨裂内の深い浸食始源点が分布している。

(三) 別紙調査図のBV―1ないし9の九箇所のボーリング調査の結果によって、BV―3、4、6、7、8から採取したコアーのなかに断層破砕部が含まれていることが判明し、また自然放射能探査の結果によって、別紙調査図のとおり斜めに三筋の異常放射能帯が存在することが判明したことから、本件南北崩壊斜面上には、南西から北東方向にかけて三筋の断層破砕帯の存在が推定しうる。

(四) 右九箇所のボーリング孔において、表流水の流入しない装置及び自記水位計を設置して昭和五〇年七月七日から同年一〇月一一日まで行った水位観測の結果、別紙調査図のBV―1、2、3(いずれも北側崩壊斜面内)、BV―8(南側崩壊斜面内)の四孔の地下水水頭は、いずれも降雨に極めて敏感に反応して、最大で2.5ないし3.5メートル程度上昇し、この降雨との対応は、先行降雨のある場所に最も顕著に現れることが判明したが、右BV―1、3、8は、いずれも、断層破砕帯内にあり、このように、降雨との対応が敏感で、かつ、その上昇高が大きいことが、破砕帯の脈状地下水の特性である。

(五) 昭和四九年六月二七日から本件事故の前日の七月六日までの一〇日間の降雨量は、合計二四八ミリ、本件事故当日の七月七日積算雨量二〇〇ミリ前後で本件事故が発生しているが、孔内水位は、右先行降雨によって少なくとも平常水位より、七、八メートルは上昇しており、さらに本格的豪雨が開始した午後九時以降本件事故発生までに数メートル上昇していたものと推定できる。

(六) 右破砕帯地下水は、基盤岩内の割れ目を伝わって上昇するが、透水性の低い第三(黒色土)、第四層(黄褐色土)の存在により、地表へは進出することなく基盤岩内において被圧された状態になり、第三、第四層より上層の土壌に対してアップリフトを与えることになる。

(七) 一般に、斜面の安定は、土質工学上、土の剪断抵抗(S)として考えられ、これは、土の摩擦抵抗(R=〈P―U〉tan)と土の粘着抵抗(C)の和S=(P―U)tan+Cとして表されている(Pは、土の重量のうち斜面に対する垂直方向に働く力を、Uは、土粒子間の間隙が浸透水によって満たされた場合の間隙水圧を、各は、土の内部摩擦角をそれぞれ示す。)が、右のアップリフトは、Pと反対方向にこれを減殺する力であるから、間隙水圧と同様に、右の式におけるUの値を増加させ、Pの値を減少させることによって、土の摩擦抵抗を著しく減少させる。

(八) 田中茂教授は、北側崩壊斜面の縦方向(東西方向)に別紙調査図の測線「り」、南側崩壊斜面の同一方向に測線「ふ」を設定し、崩壊前後の空中写真の図化により求めた崩壊前後の縦断面形及び鉄筋貫入抵抗試験結果を使用して、南北崩壊斜面で発生したと思われる縦断測線「り」、「ふ」に沿って、すべり面(北側斜面一三箇所、南側斜面7箇所)を別紙断面図一、別紙断面図二のとおり推定し、前項の粘着力Cと内部摩擦角を求めるため、南北崩壊斜面の代表的な土であるA土(黄褐色土)、B土(角レキ混黒ボク)、C土(黒ボク)、D土(角レキ混黄褐色土)の四種類の土について三軸圧縮試験を行ったうえ、右推定のすべり面毎に、前記AないしD土の四種類の土について、各土の飽和度(土粒子間の空隙中に水の占める割合)を採取時のもの・八〇パーセントのもの・八五パーセントのもの・九〇パーセントのものの四つの場合に分けて、安定計算を行った。

(九) そして、前記(七)のとおり、南北崩壊斜面の破砕帯内の地下水頭は、上部の不透水層に対し、強力なアップリフトを加えることによって土の摩擦抵抗を減殺する機能を有しているため、田中茂教授は、各すべり面毎に、本件事故発生時(七月七日午後一二時として計算)に存在していたと推定される破砕帯地下水の水頭線に至るまで、鉛直方向に五〇センチメートル刻みに数段階の水頭線を描き、各段階に水頭線が達したときのすべり面の安定計算を行った。

(一〇) 右本件事故時の破砕帯地下水の水頭線は、前記(四)の昭和五〇年七月七日から同年一〇月一一日まで行った水位観測のデーターによって推定されたものであるが、この推定水頭線は、南北崩壊斜面の二次災害防止工事による中断後に再開された別紙調査図のBV―2、3、4、5、11、10のボーリング孔における水位観測データーを分析して作成されたシュミレーションモデル等に基づく推定水頭線と較べても、概ね妥当な値である。

(一一) 以上のとおりなされた各推定すべり面毎に安定計算をすると、最深部にあるD土(角レキ混黄褐色土)は、安全率1.0未満のものはなく、上部三層を形成するA土、B土、C土のすべてが安全率1.0未満に該当する最も条件の悪い危険すべり面は、別紙断面図一(北側崩壊斜面)の推定すべり面No.3、12、20、11と別紙断面図二の推定すべり面No.16、17、30(南側崩壊斜面)であり、右各推定すべり面は、いずれも異常放射能帯(断層破砕帯)内もしくはこれに跨がって形成されており、右各すべり面における破砕帯内地下水の推定水頭線は、崩壊前の旧地表面を超えている。

(一二) これに対し、本件柵板工土留の基礎部分を含んでいる別紙断面図一の推定すべり面No.1、9、10、18、19(北側崩壊斜面)及び別紙断面図二の推定すべり面No.4、14、23、24、25、26(南側崩壊斜面)については、安全率がいずれも1.0を上回っている。

3  本件事故前の本件斜面付近の崩壊の既往

昭和四一年及び同四三年に、本件斜面付近の斜面が崩壊した事実については当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人安池忠一の証言)、〈書証番号略〉(別件原告有限会社円山代表者本人尋問の結果)、〈書証番号略〉によると、以下の事実を認めることができる。

(一) 明治四三年八月七日から一〇日にかけて大雨が降り続き、四日間の降雨量が六七九ミリに達した際に、本件斜面付近の一本松前において、茶畑の生えていた斜面が大きく崩壊し、静岡市立商業寄宿舎が倒壊した。

(二) 昭和四一年の事例の場合は、事故前日の六月二七日の夜半から雨が降り出し、六月二八日午後四時頃まで雨が降り続き、二七日の降雨量は29.8ミリで、二八日の降雨量は218.4ミリに達したが、降り始めからの積算雨量が一九〇ミリから二〇〇ミリ位に達した二八日午後一時過ぎ頃、山頂駅北側の本件柵板工土留と構造が同じである柵板工土留が、幅約一〇メートルにわたって基礎もろとも崩壊し、コンクリートブロックと土砂が斜面を約一〇〇メートル程落下して山麓にある竹藪のところで止まった。

(三) 右崩壊によって柵板工土留東側急斜面に生えていたみかんの木は、コンクリートブロックとともに山麓まで落ちたが、お茶の木は、斜面に残った株が多く、事故後に再生して芽を出している。

(四) 昭和四一年の柵板工土留崩壊後、静岡市は、右崩壊部分から山麓にかけての斜面に、三基の防災ダムを建設した。

(五) 昭和四三年の事例の場合は、事故の数日前から断続的に雨が降り続き、事故前日の降雨量が15.5ミリ、事故当日の七月六日の降雨量は124.5ミリであったが、本件事故で崩壊した本件道床山側斜面と同じ場所が崩れて山側排水溝を埋めたため、山側からの表流水が本件柵板工土留上端に集中し、本件事故における北側崩壊部分の山頂駅寄りの柵板工土留が崩壊した。

(六) 昭和四三年の事例においては、昭和四一年の事例と異なり、本件柵板工土留がその基礎もろとも崩壊したのではなく、その土留の支柱が一本折れて上方から五枚の柵板が外れる形で倒れたものであり、右崩壊によって本件道床盛土が東側急斜面のみかんとお茶の畑に流出したが、本件柵板工土留のコンクリート部材と土留は、斜面上部で止まった。

4  七夕豪雨の他地域斜面崩壊の状況

〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(証人古藤田喜久雄の証言)、鑑定人古藤田喜久雄及び同大草重康の各鑑定の結果、昭和四九年八月九日及び同年一一月一八日の施行の検証の結果によると、以下の事実を認めることができる。

(一) 賤機山地域の斜面崩壊現場宮ヶ崎町一〇二―一番地、丸山町一三〇八番地、井ノ宮二六九番地、大岩一二二八―一一番地、大岩一〇六番地、南四九六番地、南九二九番地及び松冨上組八五五番地の八箇所(以下「本件八箇所」という。)の崩壊の規模は、本件斜面及び本件八箇所崩壊規模一覧表記載のとおりである。

(二) 本件八箇所のうち、宮ヶ崎一〇二―一番地の崩壊は、崩壊深度が二メートル以上と深く、他の崩壊箇所と比べて長さに対して幅があり、すべり面が一つの大きな単位ですべっていることから、いわゆる円弧すべりに近い斜面崩壊の形状を示しているが、他の七箇所は、いずれも表層すべりを中心とする複合的な崩壊の形状を示している。

(三) 宮ヶ崎一〇二―一番地の崩壊斜面頂部には、間知石積み擁壁が設けられてその上部が麓山神社の境内地になっており、南四九六番地の事例では、三筋ある崩壊斜面の一番西側の斜面の頂部に高さ約1.5メートルの玉石積み擁壁が設けられていたが、他の鑑定目的物には、崩壊斜面頂部に人工工作物はない。

(四) 宮ヶ崎一〇二―一番地、大岩一二二八―一一番地、大岩一〇六番地、南四九六番地の各事例には、崩壊斜面裾部に切取り部分があったが、他の鑑定目的物には、切取り部分はない。

(五) 斜面の植生は、宮ヶ崎一〇二―一番地が自然林で、井ノ宮二六九番地が茶畑である他は、いずれもみかんの木が植えられていた。

(六) 松冨上組八五五番地の崩壊では、崩壊土砂が住宅を破壊して、七名の犠牲者がでたが、崩壊斜面の裾と破壊された住宅群の間には約一〇〇メートルの距離があり、崩壊斜面の裾部から住宅群の方向に沢が流れていた。

(七) 大岩一二二八―一番地の崩壊斜面最上部では崩壊斜面が三本に分かれ、その先端は、細くなってやや三角形に近い形状となっており、南九二九番地の崩壊斜面上部も二筋に分かれ、やはりその先端は、細くなってやや三角形に近い形状となっている。

(八) 大岩一二二八―一番地の崩壊時刻は、七月八日午前一時三〇分頃で、崩壊発生時刻における推定積算雨量が三一〇ミリであり、松冨上組八五五番地の崩壊時刻も同じく七月八日午前一時三〇分頃で、崩壊発生時刻における推定積算雨量が三二〇ミリである。

(九) 本件事故翌日の七月八日には、大岩一二二八―一番地の崩壊斜面下部から多量の湧水がみられ、大岩一〇六番地の崩壊斜面上部から多量の湧水がみられた。

5  本件事故の構造

(一) 中下部斜面の崩壊原因

前記2で認定した事実によると、北側崩壊斜面のうち最も危険な推定すべり面No.3、12、20、11及び南側崩壊斜面のうち最も危険な推定すべり面No.17、16、30は、本件事故時に、破砕帯内地下水が上部にある不透水層に対し強いアップリフトを加え、斜面の安定性を著しく害したことによって崩壊したが、本件柵板工土留を含む推定すべり面No.1、9、10、18、19(北側崩壊斜面)及びNo.4、14、23、24、25、26(南側崩壊斜面)の場合は、本件柵板工土留崩壊の時点では、それほど地下水の推定水頭線が上昇していなかったために、アップリフトによる崩壊は発生しなかったものと推認するのが相当である。そして、右各推定すべり面は、別紙調査図の「ふ」線と「り」線に沿った狭い幅のすべり面に過ぎないが、本件南北崩壊斜面上には、南西から北東方向にかけて三筋の異常放射能帯(断層破砕帯)が存在しているので、右「ふ」線と「り」線に沿った部分以外においても、この異常放射能帯(断層破砕帯)もしくはこの周辺の斜面においてすべり面が形成されたものと推認することができる。

(二) 過去の崩壊事例の検討

(1) 前記3で認定した事実によると、明治四三年の事例については、倒壊の態様等特定できないため、その構造は確定できない。また、昭和四一年の事例及び昭和四三年の事例については、いずれも、本件柵板工土留が倒壊したものであるが、前者については、降り始めからの積算雨量一九〇ミリから二〇〇ミリでその基礎もろとも崩壊し、崩壊した土砂やコンクリート部材が、一〇〇メートル下まで崩落していること、後者については、降雨の最終段階に発生したとしても、積算降雨量は最大一五〇ミリにしか達しておらず、柵板工土留倒壊の形態も、支柱が折れ、柵板が一部外れるという小規模のものであって、斜面についても盛土の一部が漏れたのみであったのであるところ、前記のところ、本件柵板工土留は、降雨時に水位が一定以上の高さまで上がると基礎もろとも転倒するかあるいは水平にすべって壊れる可能性があったことを合わせ考えると、前者は、本件柵板工土留背面の水圧・土圧が上昇し、右柵板工土留が基礎もろとも崩壊し、後者は、本件柵板工土留背面の水圧・土圧あるいは表流水の圧力ないし山側崩壊に基づく土砂によって支柱が折れ、柵板が外れる形で倒壊したと推認するのが相当である。

(2) 他方、昭和四一年の事故後、斜面に三基の防災ダムが建築されたことから、下部斜面にも崩壊の原因があったのではないかとの疑問が生じるが、お茶の木がさらわれずに斜面上に残ったことを考慮すると、防災ダムが建築されたことのみから、下部斜面において崩壊が発生したものと断定することはできない。

(3) また、被告会社は、昭和四一年の事例につき、下部斜面が崩壊したことによって本件柵板工土留が足元をさらわれた形で倒壊したと主張し、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)及び鑑定人古藤田喜久雄の鑑定の結果にはこれに沿う部分があるが、〈書証番号略〉によれば、古藤田喜久雄が調査資料にしたとする被告会社作成の本件リフト施設補修記録にも、下部斜面にパイピング現象等が発生した痕跡を判読できる資料はなかったことが認められ、その他には昭和四一年の事例において下部斜面に崩壊が生じたことを示す証拠はないから、下部斜面が崩壊したことによって本件柵板工土留が足元をさらわれた形で倒壊したとする被告会社の主張を認めることはできないというほかない。

(三) 本件八箇所と本件斜面の崩壊原因の比較検討

本件八箇所の崩壊の状況は、前記4で認定したとおりであるが、それに基づき、右八箇所の崩壊原因と本件南北崩壊斜面の崩壊原因とを比較検討すると、以下のように推認ないし判断することができる。

(1) まず、崩壊斜面上部に人工工作物があるという点では、宮ヶ崎一〇二―一番地と南四六九番地の事例が本件南北崩壊斜面と類似している。そして、宮ヶ崎一〇二―一番地の事例は、多量の雨水が擁壁の背後及び下部斜面の地盤中に浸透し、このことによって斜面の安定が崩れて間知石積み擁壁もろとも円弧状にすべったものと推定されるので、擁壁の存在が斜面崩壊に寄与していないとはいえないが、右事例は、本件南北崩壊斜面に較べるとはるかに崩壊の規模が小さく、また、崩壊面の形状も本件南北崩壊斜面とは異なるので、右事例から本件南北崩壊斜面の崩壊原因を推認することは、相当ではない。

他方、南四九六番地の事例では、三筋ある崩壊斜面の一番西側の斜面の頂部にのみ玉石積み擁壁が設けられており、最上部に玉石積み擁壁が存在しない二筋も同様に崩壊しているので、右崩壊は、擁壁の存在にかかわりなく崩壊したものとみられるが、右玉石積み擁壁は、玉石を積み重ねた簡易なもので、本件柵板工土留のように重量の大きいコンクリート基礎構造のものではないから、右事例において、右玉石積み擁壁が斜面の崩壊の原因に寄与していないとしても、そのことから直ちに本件柵板工土留が本件南北崩壊斜面の崩壊に寄与していないと断定することはできない。

(2) 崩壊の規模、斜面裾部の切取り、地下水理現象の存在等の点で、本件南北崩壊斜面と最も類似しているのが大岩一二二八―一番地の事例であり、右事例の場合は、崩壊斜面上部に擁壁等はないが、右崩壊斜面の最上部は、崩壊斜面が三本に分かれ、その先端は、細くなってやや三角形に近い形状となっていて、本件南北崩壊斜面のように本件柵板工土留の崩壊部分を頂辺とした長方形に近い形状をしておらず、また、大岩一二二八―一番地の崩壊時刻は、七月八日午前一時三〇分頃で、崩壊発生時刻における推定積算雨量は三一〇ミリであって、本件南北崩壊斜面の崩壊より崩壊時間が遅く、推定積算雨量も多いのであるから、右事例において、斜面上部の工作物が存在しないからといって、本件柵板工土留の存在が本件南北崩壊斜面の崩壊に寄与しないと断定することもできないというべきである。

(3) また、多くの犠牲者が発生したという点では、松冨上組八五五番地の事例も本件南北崩壊斜面と類似しているが、右事例は、崩壊した土砂が崩壊斜面の裾と破壊された住宅群の間を流れる沢を塞いでダムのようになり、このダムが決壊して土石流となって住宅群を襲った可能性が高いので、本件南北崩壊斜面の崩壊とは形態が異なり、両者を比較することはできない。

(四) 本件斜面崩壊の構造

(1) 以上の認定判断に基づき本件斜面の崩壊原因について検討するに、本件事故においては、まず南側崩壊斜面で一回、北側崩壊斜面で二回、いずれも雷のような大音響とともに土砂等及び雨水の混合物が一気に山麓に押し寄せていること、本件柵板工土留直下に比較的規模の大きな円弧状の滑りの跡があること、本件南北崩壊斜面には、崩壊を免れた残存物が点在しており、前記円弧状の滑りの直下に、北側崩壊部分では円形水槽、南側崩壊斜面ではさといも、みかんの木、茶の木がそれぞれ残存し、右円形水槽及びみかんの木には削り取られた痕跡があること、本件斜面崩壊の上端が、本件柵板工土留に沿ったほぼ長方形の形をしていること、本件柵板工土留が、前記認定のように水圧がかかったときには崩壊する危険を有する構造のものであったこと等に前記認定の中下部斜面の複合崩壊痕跡、本件事故後の湧き水の発生及び本件斜面の地層、地下水の状況等を総合考慮すると、上部斜面の円弧状の滑りの部分までの崩壊は、主として本件柵板工土留が七夕豪雨による盛土の水圧の上昇によって土圧が上昇し、その圧力と自重によって、本件柵板工土留の基礎の部分から本件斜面を掘削したことに基づくものであり、それより下の中下部斜面の崩壊は、脈状地下水の水位上昇によって生ずるアップリフトに基づく表層滑りを主原因とし、他にアップリフト崩壊に引き続き、上手の斜面の表層部の先端部が切り取られ、支持力を失ったことに浸透流の浸出に伴うパイピング現象による崩壊等も加わり、いわゆる複合的な原因によってもたらされたものであると推認するのが相当である。

(2)① 〈書証番号略〉(証人大草重康の証言)及び鑑定人大草重康の鑑定の結果においては、本件斜面崩壊は、すべて上部斜面の崩壊に基づくものであるとする記載部分があり、その根拠として、斜面下端に達した時の土石流の速度が秒速一五ないし二八メートルにも達していることを挙げている部分がある。

しかし、鑑定人大草重康の鑑定結果によれば、右土石流の速度計算は、別紙建物配置図の円山マンションの壁に一一メートルの高さまで泥水が跳ね上がっていることから土石流の速度を逆算したものであるところ、〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人古藤田喜久雄の証言)、〈書証番号略〉(別件原告有限会社円山代表者本人尋問の結果)によれば、本件事故において、別紙建物配置図の海野宅及び水谷宅が円山マンションに衝突したため、円山マンション一階及び二階のベランダの手すりと物置が壊れていることが認められ、右事実によれば、建物と建物がぶつかり合ったことによって泥が高く跳ね上がった可能性も高く、斜面を落下してきた土石流が地面に衝突してその一部が円山マンションの壁に跳ね上がったことを前提とした大草重康鑑定人の右計算は、前提条件そのものが誤っている可能性がある。更に、右速度計算は、落下した土砂が地面にあたって反発する際の入射角と反射角が等しいとし、土石流及び山麓の地面を完全弾性体と仮定したものであるところ、〈書証番号略〉によれば、豪雨によって軟化していた本件事故当時の山麓の地盤において、右のような仮定条件を想定することはできないことが認められるので、大草重康鑑定人の右速度計算は、本件柵板工土留の崩壊による土石流が本件事故の唯一の原因であることの根拠にはなりえないというべきである。

② 逆に、被告会社は、本件柵板工土留が崩壊したのは、下部斜面のパイピング崩壊によりその受働土圧が消滅ないし軽減したことによるものであって、本件柵板工土留の瑕疵に基づくものではないと主張し、〈書証番号略〉、〈書証番号略〉(別件証人田中茂の証言)、〈書証番号略〉には、これに沿う記載がある。

しかしながら、前記各書証においても、前記の危険な推定すべり面から本件柵板工土留に至るまでの浸水層の深さ等を示す具体的な記載はなく、かえって、〈書証番号略〉(別件証人田中茂の証言)によれば、地表面に降った雨が浸透性が顕著な土の中を鉛直に浸透し、浸透する能力が今まで浸透してきた土の三分の一程度しかないところに到達すると、浸透水の三分の二が上に溜まって水面が出現して横流れ浸透流が形成されるとされ、他方、前記のとおり、本件柵板工土留の基礎部での表土層の深さは、平均五〇センチメートル位で、その下にレキ混りシルト層が地表から約三メートルの深さまで存在しているところ、〈書証番号略〉によれば、レキ混りシルト層の浸透能は、表土である赤褐色土及び黒褐色土の浸透能の三分の一であることが認められるので、右横流れ浸透流による浸水層の破壊は、仮にこれが発生したとしても、本件柵板工土留直下においては、厚さ約五〇センチメートルの表土内に溜まるものとみられ、したがって、右の程度の表層の崩壊によって、基礎がレキ混りシルト層に根入れされていた本件柵板工土留が、その基礎からさらわれて崩壊することはありえないというべきである。

また、前判示のとおり、本件柵板工土留崩壊部分直下のえぐれたような形で大きく崩壊している崩壊面の下に、北側崩壊部分では円形水槽、南側崩壊斜面ではさといも、みかんの木、お茶の木がそれぞれ残存しているから、右部分においては、下からの崩壊が上手に波及したと推認し難いこと及び本件柵板工土留直下の崩壊面の最大の深さは、北側崩壊部分において1.7メートル、南側崩壊部分において1.3メートルであることからすれば、本件柵板工土留直下において、厚さ約五〇センチメートルの表土内における横流れ浸透流による浸水層の崩壊が発生した可能性も低いというべきである。

したがって、南北崩壊斜面中、下部の危険なすべり面が上手に波及し、このことが唯一の原因となって本件柵板工土留を崩壊させたとの被告会社の右主張は、たやすく採用し難く、本件柵板工土留は、前記のとおり、背面からの土圧・水圧によって独自に崩壊したと推認するのが相当である。

③ また、被告会社は、中下部斜面の崩壊は、破砕帯に侵入した雨水と脈状地下水の複合によって水頭の上昇が起こり、その上部の難透水層に水圧をかけて垂直抗力を減殺し、斜面上の摩擦力を減少させることにより、アップリフト崩壊が起こり、また、難透水層がその圧力によって湾曲することによって、難透水層に亀裂が発生してそこから被圧された脈状地下水が噴出し、この地下水が、地表面からの浸透水やその噴出によって削られた難透水層の土塊、表土と混じって泥流を形成し、斜面崩壊を招来するというボイリング崩壊に基づくものであると主張し、右主張に沿う〈書証番号略〉の記載及び証人田中茂の証言では、(ア)証人田中茂が、模型の実験で、現実に右のような現象が起こりうることを確認していること、(イ)この崩壊においては、基岩内の膨大な地下水が基岩上の土を液状化して泥流を形成し、その泥流が山麓へ流下するので、この崩壊の痕跡としては、基岩が露頭することが多く、基岩の露頭部から雨裂が形成されることが多いところ、本件斜面には、基岩が露頭している部分及び雨裂が多数ある他、本件事故後の本件山麓は泥水が多く滞留していたので、泥流が発生したものとみられること、(ウ)長崎及び島根の大水害の際の斜面崩壊並びに七夕豪雨の際の賤機山の大岩一二二八−一番地の崩壊については、泥流が発生したこと、その規模、被害の程度、発生後に斜面に、湧き水跡や湧き水が多数見られたこと、などからして右主張の正当性が証明されていると説明している。

そして、右主張及び説明に合致する〈書証番号略〉が存在するが、証人田中茂の証言によっても、所論のボイリング崩壊が発生するためには、どの程度のアップリフトの存在がその前提として必要か、難透水層とされる地盤にどの程度の粘度がある場合にボイリング崩壊が起こりうるのか、表土の安定度によってどの程度の差異がありうるのかあるいは表土の種類、粒子の大きさ等によってボイリング崩壊が起こりうる条件が変りうるのか等について明確でない部分が少なくないこと、本件斜面や被告会社がボイリング崩壊があったと主張する斜面の雨裂や基岩の露出の点については、前判示のとおりアップリフト崩壊による表層滑り及びその後の降雨による表土の流出等によっても説明することが可能であり、ボイリング崩壊によらなければ合理的に説明できないものではないこと、本件事故後の斜面下の状況についても、本件事故前から本件斜面下には雨水の滞留があったこと前認定のとおりであるから、本件事故後の泥水の滞留は本件事故によって泥流が発生したことによるものとは断定することができないこと、証人田中茂の証言によると、長崎及び島根の大水害の際の斜面崩壊の事例は、崩壊斜面上部に人工的な建築物や人為的な斜面の改変がない場所であることが認められ、本件事故の起こった賎機山の斜面とは異なる状況にあるから、同一に論ずることができないこと、〈書証番号略〉と証人田中茂の証言によれば、所論のボイリング崩壊の理論は、被告会社が別件において敗訴後別件の判決の検討を依頼された田中茂が本件柵板工土留がその瑕疵によって崩壊したものではなく、被告会社に責任がないことを論証するために案出された独自の理論にすぎなく、その崩壊の模型実験も、両面ガラス張り網枠製実験装置内に斜度三〇度の厚い木板を置き、その上にソイルセメント約五センチメートルの厚さに打設したものを使用し、右ソイルセメントに埋め込んだ流出小孔を直線上に設けた塩化ビニールパイプに連結された管を用いその管の上端部に設けられたバケット型吊り下げ水槽に満水して溢水するように注入し、スリット付パイプ内に作用する水圧を、バケット水槽をある一定速度で上昇させることによりある速度で増大させるように行われたものにすぎないこと、などの諸点を彼此総合検討すると、〈書証番号略〉及び証人田中茂の証言において表明されている右見解は、当裁判所の前記の認定と異なる事実等を前提とする独自の見解かあるいは土質工学会などの学会で未だ認知が得られていない仮説にすぎないとの疑問も払拭することができず少なくとも、本件斜面において所論のようなボイリング崩壊が起こったことまで認めることはでき難いといわざるを得ず、被告会社の右主張は、採用に由ないというほかない。

6 本件柵板工土留の瑕疵と本件死亡等事故との因果関係

(一)  上部斜面の崩壊と中下部斜面の崩壊の先後

(1)  中下部斜面の崩壊は、アップリフト崩壊を主原因とした表層滑り崩壊やパイピング崩壊等の複合によって起こったものであること前認定のとおりであるところ、その崩壊の機構からして、それは一気に起こったものではなく、安定率の低いところから高いところへ順次に起こったものであると推認し得ること、前記の安定率の計算によると、一連の大崩壊の起こった一一時三〇分前後においては、中下部斜面の場所によって安定率が異なるため、アップリフト崩壊の起こったと推定される場所とそうでない場所があること、前記認定のとおり、一〇時頃には南側斜面の下部の小崩壊が起こっていること、前記三度の大崩壊の前に大規模な崩壊はなかったことなどを合わせ考察すると、中下部斜面の一連の崩壊は、前記三度の大崩壊に先後して順次起こったものと推認するのが相当である。

(2)①  なお、被告会社は、中下部斜面の崩壊が所論のボイリング崩壊を主原因とするものであることを前提とし、前記認定の三度の大崩壊における大音響及びそれによる泥流の発生は中下部斜面の崩壊に基づくものとみるべきであるから、右三度の大崩壊は、上部斜面が中下部斜面より先に崩壊したことを裏付けるに足りる間接事実とはなり得ないと主張する。

しかしながら、中下部斜面の崩壊が所論のボイリング崩壊を主原因とするものとまでは認め難いこと前記に認定判断したとおりであるから、被告会社の右主張は、その前提を欠き、採用の限りではない。

②  また、被告会社は、深い雨裂に崩壊した本件柵板工土留の部材がはまりこんだ状態で止まっていることから、中下部斜面の崩壊が上部斜面の崩壊より先行して発生したものと推認すべきであると主張する。

しかし、中下部斜面の崩壊はいわゆる複合的な崩壊であること前認定のとおりであり、中下部斜面の崩壊が上部斜面の崩壊より先行したとみられる個所もあり得ないではないから、本件柵板工土留の部材の雨裂へのはまりこみの事実も、右認定を覆しあるいは左右するに足りるものではない。

(二)  本件柵板工土留の崩壊と本件死亡等事故の因果関係及び寄与度

本件斜面は、上部斜面と中下部斜面がそれぞれ別個独自の原因に基づいて崩壊したものであり、特に、中下部斜面の崩壊は、自然現象であるアップリフト崩壊を主原因として発生した複合崩壊であること前記に認定判断したとおりであるところ、中下部斜面の一連の崩壊は、上部斜面の一連の大崩壊の前後に順次起こっていることからすると、本件斜面からの土砂等の落下・堆積による民家の倒壊、居住民の死亡等は、本件柵板工土留の瑕疵に基づく上部斜面崩壊と自然現象に基づく中下部斜面のアップリフト崩壊の双方の原因が寄与したことによって招来されたものと認めざるを得ず、本件柵板工土留の崩壊により本件死亡等事故が発生したことを全面的に否定することはできないというべきである。

しかしながら、本件柵板工土留の瑕疵に基づく上部斜面崩壊が民家の倒壊、居住者の死亡等ないしそれによる損害に及ぼす割合ないし寄与によって発生した損害の範囲において賠償責任を負わしめるのが相当であると解すべきところ、これを本件についてみるに、本件斜面から崩落した全体の土量が前記認定のとおり約二四〇〇立方メートルであり、本件道床盛土部分の崩壊土量は、南側崩壊斜面部分が約三九立方メートル、北側崩壊斜面部分が約一二四立方メートルであったこと、その中には、本件事故後も継続した降雨によって崩壊した土砂も含まれていると推認されなくはないこと、上部斜面の崩壊によって生じた土量は前記のとおり約一〇〇〇立方メートルであると推認できること、そのうちの一部は落下の途中に中下部斜面に堆積したとしても、逆に、本件柵板工土留の部材の崩落によって中下部斜面を削り取ってその斜面上の土砂をも落下させたこともあったと推認できること、多量の本件柵板工土留部材が山麓に崩落していること、本件斜面の崩壊した面積としては、上部斜面より中下部斜面が数倍大きいこと、などの諸点を総合斟酌すると、本件柵板工土留の崩壊の本件死亡等事故ないし損害に対する割合ないし寄与度は五割程度であると認めるのが相当であるというべく、被告会社が賠償すべき損害の範囲を右の限度に減額するのが相当であると判断する。

五損害

(なお、損害の計算上金額が一円未満であるときは、その全額を切り捨てるものとする。)

1  亡喜代子、亡隆久及び亡智子関係

(一) 亡喜代子に関する損害額

一八〇二万五八六八円

(1) 逸失利益

一〇〇二万五八六八円

〈書証番号略〉及び原告知生本人尋問の結果によると、亡喜代子は、大正一一年八月一一日生まれで、本件事故当時満五〇歳の健康な女性であって、化粧品の販売員として、ポーラ化粧品本舗の営業所に勤務しており、昭和四九年四月から同年六月までの三か月の平均月収は、一〇万五八六八円を下らなかったと認めることができるから、それを基礎とし、生活費は、収入の三〇パーセントであるとして逸失利益を算定すると、その額は、計算上、次式のとおり一〇〇二万五八六八円となる。

10万5868円×12×(1―0.3)×11.274(五〇歳のライプニッツ係数)=1002万5868円

(2) 慰藉料 八〇〇万円

亡喜代子の年齢、生活状況等本件に関する一切の事情を考慮すると、亡喜代子の精神的苦痛を慰藉するには、八〇〇万円が相当である。

(3) 相続

亡喜代子は、本件事故によって死亡し、その身分関係は、前記のとおりであるから、左記のとおり、相続が開始したと認めることができる。

(相続人) (相続分) (金額)

夫 亡四三男 三分の一

六〇〇万八六二二円

子 原告恭志 九分の二

四〇〇万五七四八円

(代襲相続人) (代襲相続分) (金額)

孫 原告裕子 九分の二

四〇〇万五七四八円

孫 原告奈穂美 九分の一

二〇〇万二八七四円

孫 原告夕佳里 九分の一

二〇〇万二八七四円

(二) 亡隆久に関する損害額

三一二六万七八二四円

(1) 逸失利益

二〇七八万〇七七四円

〈書証番号略〉及び原告知生本人尋問の結果によると、亡隆久は、昭和二一年一〇月一四日生まれで、本件事故当時満二七歳の健康な男子であって、リンナイ株式会社静岡出張所に勤務しており、昭和四九年一月から同年六月までの六か月間の収入の合計は原告ら主張の八六万五〇五一円を下らないと認めることができるから、その逸失利益は、右収入を基礎として、生活費について三〇パーセント控除して算定すると、その額は、計算上、次式のとおり二〇七八万〇七七四円となる。

86万5051円×2×(1―0.3)×17.159(二七歳のライプニッツ係数)=2078万0774円

(2) 車両損害

四八万七〇五〇円

〈書証番号略〉及び原告知生本人尋問の結果によると、亡隆久は、本件事故により自動車(クラウン四五年型MS五一)一台を失い、四八万七〇五〇円の損害を被ったものと認められる。

(3) 慰藉料 一〇〇〇万円

亡隆久の、当時の年齢、生活状況等本件に関する一切の事情を考慮すると、亡隆久の精神的苦痛を慰藉するには、一〇〇〇万円が相当である。

(4) 相続

亡隆久は、本件事故によって死亡し、その身分関係は、前記のとおりであるから、左記のとおり、相続が開始したと認めることができる。

(相続人) (相続分) (金額)

妻 原告やよい 三分の一

一〇四二万二六〇八円

子 原告裕子 三分の二

二〇八四万五二一六円

(三) 亡智子に関する損害額

二一九三万一九六〇円

(1) 逸失利益

一三九三万一九六〇円

原告知生本人尋問の結果によると、亡智子は、昭和一九年六月二六日生まれ、死亡当時満三〇歳で、主婦として家事に従事していたと認めることができ、昭和四九年の、企業規模計・学歴計三〇ないし三四歳女子の平均給与年額は、一一九万一〇〇〇円であるから、右収入を基礎として、生活費控除を三〇パーセントとして逸失利益を算定すると、その額は、計算上、次式のとおり一三九三万一九六〇円となる。

119万1000円×(1―0.3)×16.711(三〇歳のライプニッツ係数)=1393万1960円

(2) 慰藉料 八〇〇万円

亡智子の、当時の年齢、生活状況等本件に関する一切の事情を考慮すると、亡智子の精神的苦痛を慰藉するには、八〇〇万円が相当である。

(3) 相続

亡智子は、本件事故によって死亡したので、左記のとおり、相続が開始したと認めることができる。

(相続人) (相続分) (金額)

夫 原告知生 三分の一

七三一万〇六五三円

子 原告奈穂美 三分の一

七三一万〇六五三円

子 原告夕佳里 三分の一

七三一万〇六五三円

(四) 亡四三男に関する損害額

六四〇万八六二二円

(1) 亡喜代子の相続分

六〇〇万八六二二円

(2) 休業損害

原告らは、亡四三男が、本件事故に際し、休業して被災処理に勤めた旨主張して休業損害を請求するが、右主張の事実を証するに足りる証拠はなく、右休業損害は認められない。

(3) 亡喜代子の葬儀費用 四〇万円

弁論の全趣旨によると、亡四三男は、本件事故後、亡喜代子の葬儀を挙行し、それに関し、相当額に出費をなしたと認められるところ、諸般の事情に照らせば、本件事故と因果関係のある葬儀費用としての損害は、四〇万円をもって相当と認める。

(4) 弁護士費用

亡四三男の弁護士費用については、その相続人である原告らの弁護士費用の損害を算定するにあたって考慮すれば足り、これらと別個に相当因果関係のある損害としては計上すべきではない。

(5) 相続

弁論の全趣旨によると、亡四三男は、昭和五三年一〇月三〇日に死亡したと認められるところ、その身分関係は、前記のとおりであるから、左記のとおり相続が開始したものと認められる。

(相続人) (相続分) (金額)

子 原告恭志 三分の一

二一三万六二〇七円

(代襲相続人) (代襲相続分) (金額)

孫 原告裕子 三分の一

二一三万六二〇七円

孫 原告奈穂美 六分の一

一〇六万八一〇三円

孫 原告夕佳里 六分の一

一〇六万八一〇三円

(五) 原告やよいの損害額

一三四二万二六〇八円

(1) 亡隆久の相続分

一〇四二万二六〇八円

(2) 亡隆久の葬儀費用 四〇万円

弁論の全趣旨によると、原告やよいは、本件事故後、亡隆久の葬儀を挙行し、それに関し、相当額の出費をしたと認められるところ、諸般の事情に照らせば、本件事故と因果関係のある葬儀費用としての損害は、四〇万円をもって相当と認める。

(3) 原告やよい固有の慰藉料 二〇〇万円

原告やよいは、本件事故によって、夫である亡隆久を失ったところ、原告やよいの年齢、生活状況及び亡隆久との関係等本件に関する一切の事情を考慮すると、原告やよいの精神的苦痛を慰藉するには、二〇〇万円が相当である。

(4) 弁護士費用 六〇万円

弁論の全趣旨によると、原告やよいは、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、六〇万円をもって相当と認める。

(六) 原告裕子の損害額

三〇四八万七一七一円

(1) 亡喜代子の相続分

四〇〇万五七四八円

(2) 亡隆久の相続分

二〇八四万五二一六円

(3) 亡四三男の相続分

二一三万六二〇七円

(4) 原告裕子固有の慰藉料

二〇〇万円

原告裕子は、本件事故によって、父である亡隆久を失ったところ、原告裕子の年齢、生活状況及び亡隆久との関係等本件に関する一切の事情を考慮すると、原告裕子の精神的苦痛を慰藉するには、二〇〇万円が相当である。

(5) 弁護士費用 一五〇万円

弁論の全趣旨によると、原告裕子は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、一五〇万円をもって相当と認める。

(七) 原告恭志の損害額

八五四万二〇一八円

(1) 亡喜代子の相続分

四〇〇万五七四八円

(2) 休業損害

原告らは、原告恭志が、本件事故の被災処理のために、当時勤務していた会社を休業せざるを得なかった旨主張して休業損害を請求するが、右主張の事実を証するに足る証拠はなく、右休業損害は認められない。

(3) 亡四三男の相続分

二一三万六二七〇円

(4) 原告恭志固有の慰藉料

二〇〇万円

原告恭志は、本件事故によって母である亡喜代子を失ったものであるところ、原告恭志の年齢、生活状況及び亡喜代子との関係等本件に関する一切の事情を考慮すると、原告恭志の精神的苦痛を慰藉するには、二〇〇万円が相当である。

(5) 弁護士費用 四〇万円

弁論の全趣旨によると、原告恭志は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、四〇万円をもって相当と認める。

(八) 原告知生の損害額

一四七五万五六五三円

(1) 亡智子の相続分

七三一万〇六五三円

(2) 原告知生固有の慰藉料 二〇〇万円

原告知生は、本件事故によって、妻である亡智子を失ったところ、原告知生の生活状況及び亡智子との関係等本件に関する一切の事情を考慮すると、原告知生の精神的苦痛を慰藉するには、二〇〇万円が相当である。

(3) 亡智子の葬儀費用 四〇万円

原告知生本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告知生は、本件事故後、亡智子の葬儀を挙行し、それに関し、相当額の出費をなしたと認められるところ、諸般の事情に照らせば、本件事故と因果関係のある葬儀費用としての損害は、四〇万円をもって相当と認める。

(4) 動産 四三四万五〇〇〇円

〈書証番号略〉及び原告知生本人尋問の結果によると、本件事故によって、原告知生の所有した動産が流失、滅失し、四三四万五〇〇〇円の損害を被ったものと認められる。

(5) 弁護士費用 七〇万円

弁論の全趣旨によると、原告知生は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、七〇万円をもって相当と認める。

(九) 原告奈穂美及び原告夕佳里の損害額

各一二九八万一六三一円

(1) 亡喜代子の相続分

各二〇〇万二八七五円

(2) 亡智子の相続分

各七三一万〇六五三円

(3) 亡四三男の相続分

各一〇六万八一〇三円

(4) 原告奈穂美及び原告夕佳里固有の慰藉料

各二〇〇万円

原告奈穂美及び原告夕佳里は、本件事故によって、母である亡智子を失ったところ、原告奈穂美及び原告夕佳里の年齢、生活状況及び亡智子との関係等本件に関する一切の事情を考慮すると、原告奈穂美及び原告夕佳里の精神的苦痛を慰藉するには、それぞれ二〇〇万円が相当である。

(5) 弁護士費用 各六〇万円

弁論の全趣旨によると、原告奈穂美及び原告夕佳里は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、六〇万円をもって相当と認める。

2  亡かう及び亡ひさ関係

〈書証番号略〉によると、亡かうは、本件事故当時、既に夫は死亡しており、事故当時既に死亡していた長男亡岡村慶司、原告萬吉、亡ひさ、亡恵美の四人の子があったこと、亡岡村慶司と妻愛との間には、原告邦彦、原告厚子及び岡村豊の三人の子があったことが認められる。

(一) 亡ひさに関する損害額

一三四八万〇九二三円

(1) 逸失利益

三六二万三九二三円

〈書証番号略〉によると、亡ひさは、大正九年六月一日生まれで、本件事故当時五四歳の健康な女性であって、本件事故当時株式会社松本栄治郎商店に勤務し、昭和四九年一月から六月までの間の収入の合計は二七万五五五〇円であったことが認められるから、右収入を基礎とし、生活費の控除は右収入の三〇パーセントであるとして逸失利益を算定すると、その額は、計算上、次式のとおり三六二万三九二三円となる。

27万5550円×2×(1―0.3)×9.394(五四歳のライプニッツ係数)=362万3923円

(2) 動産 一八五万七〇〇〇円

〈書証番号略〉によると、本件事故によって、亡ひさがその所有していた動産を流失、滅失し、一八五万七〇〇〇円の損害を被ったものと認められる。

(3) 慰藉料 八〇〇万円

亡ひさの、当時の年齢、生活状況等本件に関する一切の事情を考慮すると、亡ひさの精神的苦痛を慰藉するには、八〇〇万円が相当である。

(4) 相続

亡ひさは、本件事故によって死亡したところ、その身分関係は前記のとおりであって、〈書証番号略〉によると、岡村豊が、昭和四九年一一月八日、その代襲相続持分全部を原告邦彦及び原告厚子に各二分の一ずつ譲渡したことが認められるから、亡ひさの損害賠償請求権については、以下のとおり相続等により承継、取得されたものというべきである。

(相続人) (相続分) (金額)

兄 原告萬吉 三分の一

四四九万三六四一円

妹 亡恵美 三分の一

四四九万三六四一円

(代襲相続人) (代襲相続分及び譲り受け分の合計) (金額)

甥 原告邦彦 六分の一

二二四万六八二〇円

姪 原告厚子 六分の一

二二四万六八二〇円

(二) 亡かうに関する損害額

三〇〇万円

(1) 慰藉料 三〇〇万円

亡かうの、当時の年齢、生活状況等本件に関する一切の事情を考慮すると、亡かうの精神的苦痛を慰藉するには、三〇〇万円が相当である。

(2) 相続

亡かうは、本件事故によって死亡したところ、その身分関係は前記のとおりであって、また、前記のように、岡村豊が、昭和四九年一一月八日、その代襲相続持分全部を、原告邦彦及び原告厚子に各二分の一ずつ譲渡したことが認められるので、亡かうの損害賠償請求権については、以下のとおり相続等により承継、取得されたものというべきである。

(相続人) (相続分) (金額)

子 原告萬吉 三分の一 一〇〇万円

子 亡恵美 三分の一 一〇〇万円

(代襲相続人) (代襲相続分及び譲り受け分の合計) (金額)

孫 原告邦彦 六分の一 五〇万円

孫 原告厚子 六分の一 五〇万円

(三) 亡恵美に関する損害額

五八九万三六四一円

(1) 亡ひさの相続分

四四九万三六四一円

(2) 亡かうの相続分 一〇〇万円

(3) 亡ひさの葬儀費用 四〇万円

〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によると、亡恵美は、本件事故後、亡ひさの葬儀を挙行し、それに関し、相当額の出費をなしたと認められるところ、諸般の事情に照らせば、本件事故と因果関係のある葬儀費用としての損害は、四〇万円をもって相当と認める。

(4) 弁護士費用

原告らは、亡恵美の弁護士費用を請求するが、それは、その相続人らの弁護士費用額を算定するにあたって考慮すれば足り、損害として計上することは相当ではない。

(5) 相続

弁論の全趣旨によると、亡恵美は、昭和五五年六月二一日死亡したところ、身分関係は前記のとおりであるから、以下のとおり相続が開始した。

(相続人) (相続分) (金額)

夫 原告巖 二分の一

二九四万六八二〇円

子 原告明子 四分の一

一四七万三四一〇円

子 原告宏之 四分の一

一四七万三四一〇円

(四) 原告萬吉の損害額

五七九万三六四一円

(1) 亡ひさの相続分

四四九万三六四一円

(2) 亡かうの相続分 一〇〇万円

(3) 弁護士費用 三〇万円

弁論の全趣旨によると、原告萬吉は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、三〇万円をもって相当と認める。

(五) 原告巖の損害額

三一四万六八二〇円

(1) 亡恵美の相続分

二九四万六八二〇円

(2) 弁護士費用 二〇万円

弁論の全趣旨によると、原告巖は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、二〇万円をもって相当と認める。

(六) 原告明子及び原告宏之の損害額

各一五七万三四一〇円

(1) 亡恵美の相続分

各一四七万三四一〇円

(2) 弁護士費用 各一〇万円

弁論の全趣旨によると、原告明子及び原告宏之は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、一〇万円をもって相当と認める。

(七) 原告邦彦の損害額

三三四万六八二〇円

(1) 亡ひさの相続分

二二四万六八二〇円

(2) 亡かうの相続分 五〇万円

(3) 亡かうの葬儀費用 四〇万円

弁論の全趣旨によると、原告邦彦は、本件事故後、亡かうの葬儀を挙行し、それに関し、相当額の出費をしたと認められるところ、亡かうの生活状況等に照らせば、本件事故と因果関係のある葬儀費用としての損害は、四〇万円をもって相当と認める。

(4) 弁護士費用 二〇万円

弁論の全趣旨によると、原告邦彦は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、二〇万円をもって相当と認める。

(八) 原告厚子の損害額

二九四万六八二〇円

(1) 亡ひさの相続分

二二四万六八二〇円

(2) 亡かうの相続分 五〇万円

(3) 弁護士費用 二〇万円

弁論の全趣旨によると、原告厚子は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、二〇万円をもって相当と認める。

3  亡音吉関係

〈書証番号略〉によると、亡音吉は、本件事故当時妻はなく、原告臣尉しか相続人はなかったと認められる。

(一) 亡音吉に関する損害額

一一五五万二五〇〇円

(1) 逸失利益 三五五万二五〇〇円

〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によると、亡音吉は、明治四二年生まれで、本件事故当時満六五歳であって、著明な漆芸家、日本画家として活躍し、一個八〇万円の価値のある漆器を年間少なくとも二個作製し、一個当たり五〇万円の収入を得ていたと認められるので、その収入を基礎とし、稼働年数については六年とし、生活費については三〇パーセントを控除して逸失利益を算定すると、その額は、計算上、次式のとおりとなる。

50万円×2×(1―0.3)×5.075(六年間のライプニッツ係数)=355万2500円

(2) 動産

原告らは、本件事故によって、亡音吉の所有した動産が流失、滅失したと主張してその損害を請求するが、その損害を立証するに足りる証拠はなく、右損害は認められない。

(3) 慰藉料 八〇〇万円

亡音吉の、当時の年齢、生活状況等本件に関する一切の事情を考慮すると、亡音吉の精神的苦痛を慰藉するには、八〇〇万円が相当である。

(4) 相続

亡音吉は、本件事故によって死亡したところ、その身分関係は、前記のとおりであるから、以下のような相続が開始した。

(相続人) (金額)

子 原告臣尉 一一五五万二五〇〇円

(二) 原告臣尉の損害額

一二四五万二五〇〇円

(1) 亡音吉の相続分

一一五五万二五〇〇円

(2) 亡音吉の葬儀費用 四〇万円

〈書証番号略〉によると、原告臣尉は、昭和四九年七月一二日、亡音吉の葬儀を挙行し、それに関し、相当額の出費をしたと認められるところ、亡音吉の生活状況等に照らせば、本件事故と因果関係のある葬儀費用としての損害は、四〇万円をもって相当と認める。

(3) 弁護士費用 五〇万円

弁論の全趣旨によると、原告臣尉は、本件訴訟の追行を委任するに際し、原告ら代理人に対し、相当額の報酬を支払う旨約したものと推認されるところ、本件事案の内容、原告ら代理人の訴訟活動、審理の経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としての損害は、五〇万円をもって相当と認める。

4  寄与度減額と原告らの損害額

そして、原告らの前記各損害については、本件柵板工土留の崩壊の損害に対する割合ないし寄与度を斟酌して五割減額するのが相当であること前判示のとおりであるから、各原告の損害は、計算上、別紙認容金額目録記載の認容金額のとおりとなる。

六結語

よって、原告らの被告会社に対する請求は、別紙認容金額目録記載の認容金額及びそれに対する本件死亡等事故の発生の日ないしその翌日である昭和四九年七月八日から支払済みにいたるまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める範囲で理由があるので、これを認容するが、その余の請求は、理由がないので、これを棄却することとする。

第二被告県に対する請求について

一当事者

(一)  〈書証番号略〉、原告知生本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、請求原因1(一)の事実を認めることができる。

(二)  請求原因1(二)の事実については、当事者間に争いがない。

二本件死亡等事故の発生

昭和四九年七月七日、静岡市地方では、同日夜来午後一一時五〇分まで降雨があったこと、本件道床は、同日午後一一時三〇分頃に南側転回塔寄り長さ約二二メートル(南側崩壊)、北側山上駅寄り長さ約三六メートル(北側崩壊)の二個所にわたって、道床盛土とともに崩壊したことについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈書証番号略〉、原告知生本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、亡智子、亡喜代子、亡隆久、亡ひさ、亡かう及び亡音吉他二名が右崩落によって崩落した泥土による窒息等により死亡したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三本件事故の原因

1  本件リフト施設の概要及び本件柵板工土留の瑕疵

請求原因2(一)の事実、同(二)(2)第一段の事実、第二段の事実のうち本件斜面の傾斜度を除く事実については、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、被告会社に対する請求についての判断三1(二)、2(二)において挙示した各証拠並びに弁論の全趣旨を総合すると、同三1(二)、2(二)において認定した各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実からすると、本件柵板工土留は、盛土の通常の土圧には耐えられるものの、多量の降雨等のために、盛土内に浸透水が発生、滞留した場合には、その水圧によって崩壊する危険を有するものであるところ、その盛土について、そのような浸透水が発生、滞留しないような適切な設備は講じられておらず、瑕疵があったというべきであることは、被告会社に対する請求についての判断3(四)において詳細に認定判断したとおりである。

2  本件斜面崩壊の構造と本件死亡等事故の原因

被告会社に対する請求についての判断四1(一)、(二)、(三)、(四)(1)、(五)(1)、(六)(1)①、(2)①、③、2、3、4で挙示した各証拠並びに弁論の全趣旨を総合すると、同四1(一)、(二)、(三)、(四)(1)、(五)(1)、(2)、(六)(1)①、(2)①、③、2、8、4において認定した事実を認めることができる。

そして、右事実によると、本件死亡等事故の原因は、本件柵板工土留の瑕疵による上部斜面の崩壊と自然現象である中下部斜面のアップリフト崩壊の双方の原因が寄与したことにより招来された複合崩壊であると認めざるを得ないことは、被告会社に対する請求についての判断5において認定判断したとおりである。

四急傾斜地崩壊危険区域の指定権限

1  請求原因4(一)の事実は、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に〈書証番号略〉、関係法令を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一) 急傾斜地法制定の経過

建設省は、国内の集中豪雨等による急傾斜地の崩壊の災害防止対策としては、砂防法、宅地造成規制法等の適用される地域についてはその法律の規定に基づく対策を講じ、これらの法律の適用の対象とならない地域については、昭和四二年度から、都道府県の施行する崩壊防止工事に対する助成措置を講ずることにより、その災害の防止につとめてきた。

そして、建設省河川局長は、その災害防止対策の一貫として、昭和四二年五月三一日、急傾斜地の地形、地質、被害対象等について、実態調査を行い、もって急傾斜地崩壊対策事業の基礎資料とするため、都道府県知事に対して、その調査を委託した。

その際の(1)調査対象地は、崩壊のおそれの多い急傾斜地で、①人家五戸以上に著しい被害を及ぼすおそれのあるもの、②官公署、学校、病院等の公共建物に著しい被害を及ぼすおそれのあるもの、とするが、この調査における急傾斜地とは、地表面が水平面に対し、三〇度をこえる角度をなす土地(隣接地域を含む。)で、当該土地の面積が一ヘクタール以上あり、かつ、急傾斜地(隣接地域)の直高が、五メートル以上あるものをいうとされ、ただし、砂防指定地、地すべり防止区域、保安林、保安施設地区等を除くものとされた。

また、(2)調査事項は、①地形(勾配、長さ、高さ、急傾斜面(隣接地域を含まない。)の面積、急傾斜地(隣接地域を含む。)の面積)、②地質(急傾斜面の地質、土層の深さ)、③その他の自然状況(地表水、地下水の状況、地被物の状況)、④被害区域の現況((ア)急傾斜地の崩壊により被害を受ける人家、公共建物、公共施設等の種類及び数、(イ)移転適地の有無、移転適地のあるものについて移転費用、(ウ)急傾斜地と被害建物の所有関係、(エ)被害区域内居住者の生業依存度)、⑤対策工法(工法の種類、工事費所要額(概算))、とされた。

ところが、昭和四二年度に、台風に伴う異常な集中豪雨等によって全国各地に急傾斜地の崩壊が頻発し、それによって多数の死者が発生したこと及び前記調査結果によれば、崩壊の危険のある斜面が全国に約七四〇〇箇所あり、特にそのうち、約一一〇〇箇所についてはその危険が著しいことが認められたことを踏まえ、そのような断片的な処置では急傾斜地の崩壊について万全を期することができなくなり、有害な行為の規制の強化、急傾斜地における崩壊防止工事の施行等により、積極的に急傾斜地の崩壊の防止を図るとともに、急傾斜地の崩壊による被害を軽減するための警戒避難体制の整備、住宅移転に対する融資等所要の措置を講じ、急傾斜地の崩壊による災害の防止のための総合的な対策を確立する必要が生じたため、国会は、昭和四四年六月二七日急傾斜地法を制定し、同年八月一日これを施行した。

(二) 急傾斜地崩壊危険区域の指定

静岡県知事は、被告県の長として、静岡県内における治山、治水、防災等の行政事務を処理する(地方自治法二条)ほか、急傾斜地法三条一項に基づき、急傾斜地の崩壊による災害から国民の生命を保護するため、急傾斜地の崩壊を防止し、その崩壊に対しての警戒避難体制を整備する等の措置を講じ、もって民生の安定と国土の保全を図る目的を達成するために必要があると認めるときは、関係市町村の意見を聞いて、「崩壊するおそれのある急傾斜地(傾斜度が三〇度以上である土地)で、その崩壊により、相当数の居住者その他の者に危害が生ずるおそれのある土地の区域」等を急傾斜地崩壊危険区域に指定することができるとされている。

しかしながら、その指定によって同法七条一項各号に掲げられているように、水の放流、工作物の設置、立木竹の伐採等の行為が厳しく制限されることになっているところから、私権の制限との関係上、区域の範囲を行政目的達成のために客観的、合理的に必要な範囲に限定すべきものとされ、同法三条二項において、急傾斜地の指定は、急傾斜地の崩壊を防止することを達成するために必要な最小限のものでなければならないと定められている。

そして、昭和四四年局長通達によれば、右指定は、(1)急傾斜地の高さ五メートル以上のもので、(2)急傾斜地の崩壊により危害が生ずるおそれのある人家が五戸以上あるもの、又は五戸未満であっても、官公署、学校、病院、旅館等に危害が生ずるおそれのあるものについて行うものとされ、なお、指定にあたっては、急傾斜地崩壊防止工事(都道府県営工事)を施行したもの、施行中のもの、もしくは施行するもの、災害を受けたもの、危険度の高いもの又は急傾斜地の崩壊により危害が生ずるおそれのある人家戸数の多いもの等について考慮のうえ、緊要なものから順次、すみやかに指定することとされている。

また、建設省事務次官は、昭和四七年事務次官通達において、各都道府県知事に対し、「急傾斜地の崩壊、土石流等の土砂害による人命等の被害が顕著であることにかんがみ、関係市町村その他の関係機関との緊密な連絡及び協力のもとに、これら土砂害による災害の発生が予想される危険箇所の総点検を別添要綱により、早急に実施し、点検によって得られた結果を付近住民に周知徹底せしめるとともに、緊急時における警戒避難体制を確立し、万全を期せられたい。なお、総点検により必要と認められた箇所については、すみやかに急傾斜地崩壊危険区域の指定を行い、管理の徹底を期されたい」として、知事に対し、すみやかに急傾斜地崩壊危険区域の指定を行うよう指示するとともに、建設省砂防局長は、四七総点検の実施要綱及び要領を提示し、(1)傾斜度三〇度以上、高さ五メートル以上の急傾斜地で、人家一戸以上ある地域を小単位で急傾斜地帯として調査対象とした上、(2)右急傾斜地帯の中にあり、傾斜度三〇度以上、高さ五メートル以上、人家五戸以上(五戸未満であっても官公署、学校、病院、駅、旅館等のある場合も含む)の箇所を急傾斜地崩壊危険箇所として調査対象とし、(3)その危険度の判定につき点数制により、A、B、Cのランク付けを行うことを要求した他、調査方法として、空中写真、地形図、地質図等で概査し、急傾斜地帯を地形図に図示すること、地帯調査で図示した急傾斜地帯を現地で踏査確認した上、崩壊危険箇所について、傾斜度、高さ、長さ、地質、表土の厚さ、人家戸数等詳細な診断を実施すること、人工斜面については、急傾斜地崩壊防止工事の技術的水準を満足しているか否かを調査すること、急傾斜面に現在崩壊が生じているか否かあるいは過去における崩壊の有無を調査すること、危険区域とされた場所については、別紙急傾斜地崩壊危険区域危険度判定基準により、急傾斜地崩壊危険区域を決定すべきことを要求している。

なお、建設省のこの点に関する都道府県知事らに対する指導監督の経過、内容は、別紙行政の指導監督一覧表記載のとおりである。

(三) 急傾斜地崩壊危険区域指定に関する規制

(1) 急傾斜地崩壊危険区域指定に関する調査義務(急傾斜地法四条)

都道府県知事は、急傾斜地崩壊危険区域の指定にあたって、地形、地質、降水等の状況に関する現地調査をすることが義務付けられている。

(2) 行為制限(同法七条)

急傾斜地崩壊危険区内では、水の放流、切土、盛土等同法七条一項各号所定の行為は、都道府県知事の許可を受けなければしてはならないとされ、また、都道府県知事は、右許可に、急傾斜地の崩壊を防止するために必要な条件を付すことができるとされている。

(3) 防災措置の勧告(同法九条三項)

都道府県知事は、急傾斜地の崩壊による災害を防止するために必要があると認める場合においては、急傾斜地崩壊危険区域内の土地の所有者等に対し、急傾斜地崩壊防止工事の施行、被害を受けるおそれが著しいと認められる家屋の移転等の措置をとることを勧告することができる。

(4) 改善措置の命令(同法一〇条)

更に、都道府県知事は、右指定の前後をとわず、同法七条一項各号所定の行為が行われたことに伴い急傾斜地の崩壊のおそれが著しいと認められる場合においては、土地の所有者等に対し、急傾斜地崩壊防止工事の施行等を命ずることができる。

(5) 急傾斜地防止工事の施行(同法一二条)

都道府県は、急傾斜地崩壊防止工事のうち、急傾斜地の所有者、管理者、占有者又は被害を受けるおそれのある者が施行することが困難又は不適当と認められる工事を施行するものとするとされている。

(6) 災害危険区域の指定(同法一九条)

都道府県もしくは建築主事を置く市町村は、急傾斜地崩壊危険区域内における急傾斜地の崩壊による危険の著しい地域を、災害危険区域(建築基準法三九条一項)として指定するものとするとされている。この災害危険区域内では、住居に供する建築物の建築の禁止その他建築物の建築に関する制限が行われる。

(7) 警戒避難体制の整備(同法三条三項、二〇条)

都道府県知事は、急傾斜地崩壊危険区域の指定をするときは、当該急傾斜地危険区域を公示するとともに、その旨を関係市町村長に通知しなければならないし、また、市町村防災会議は、市町村地域防災計画において、情報の収集及び伝達、災害に関する予報又は警報の発令及び伝達、避難、救助その他急傾斜地崩壊危険区域の崩壊による災害防止のために必要な計画避難体制に関する事項について定めなければならないとされている。

なお、この点について、昭和四四年八月二〇日付各都道府県防災主管部長あて消防庁防災救急課長による通達は、急傾斜地崩壊危険区域についての市町村地域防災計画において、管下市町村に検討し、定めるべき事項として、概ね、①危険区域ごとに、その範囲、面積、人口、世帯数、建物等について、あらかじめ実態を調査するとともに、予想される災害について被害状況を検討しておくこと、②気象警報等情報の収集体制、伝達方法等について定めるとともに、降雨量の測定場所、測定方法等についても定めること、③急傾斜地の崩壊による災害を未然に防止するための応急措置の内容及び実施すべき時期等について定めること、④急傾斜地の崩壊による危険が増大した場合の避難について、実施責任者、避難方法、避難場所、伝達方法等について定めること、⑤人命の保護、救出について、その方法及び体制について定めること、⑥急傾斜地の崩壊による災害に対する応急工事(地表水の排除、土留め等)の方法、施行担当者等について定めておくことが指導されている。

(8) 索道の除外

急傾斜地法七条一項但し書は、政令で定める行為については、急傾斜地区域内の行為制限に服さないと定めているところ、同法施行令二条九号によれば、本件リフトのように索条に搬器をつるして人を運送する索道については、同法七条一項の行為制限の適用はないものと解されるので、同法の適用があることを前提とする同法一〇条の改善命令や一二条の都道府県の急傾斜地崩壊防止工事の施行の規定の適用はないものといわざるを得ない。

五被告県の急傾斜地崩壊危険区域指定の実態等

1  被告県が本件事故前本件斜面について急傾斜地法に基づく急傾斜地崩壊危険区域指定をしなかった事実及び昭和四七年に被告県において急傾斜地の調査を行った事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、〈書証番号略〉、証人長島五郎及び証人八木忠男の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一) 昭和四四年七月一日に急傾斜地法が施行されたが、被告県は、建設省の委託を受け、同法の施行前の昭和四二年と、同法施行後の昭和四四年、昭和四六年、全県にわたって急傾斜地実態調査を行ったが、その調査の詳細は、別紙急傾斜地実態調査及び対策実施経過一覧表記載のとおりである。

被告県は、いずれの調査においても、地域の実情に精通している市町村に委任する形をとっていたので、静岡市内の調査は静岡市に委任して実施したが、静岡市は、いずれの調査においても本件斜面を、急傾斜地実施調査の調査対象である危険区域として調査しなかった。

また、いずれの調査においても、建設省担当官の通達は、客観的な危険度判定基準を定めていなかったので、被告県から静岡市に対してこの点の指示はなく、静岡市の担当職員は、過去に土砂崩れや地滑りなどがあった地域を重点的に、その表土の性質、厚さ、湧き水の有無、ひび割れの有無、地滑りの有無、オーバーハングの有無、地元からのそれらの報告の有無を調査し、危険度を判定したものである。

(二) なお、急傾斜地崩壊危険区域の指定の前提としての調査は、都道府県全体の対象区域が広範囲であって自ら行うことが困難であることと、地域の実情に精通している市町村に委任して行うのが適正かつ効率的であるため、大半の都道府県が、市町村に依頼して行う運用をしていた。

(三) 急傾斜地崩壊危険区域指定や防災工事実施には、法律上当該区域の所有者ないし地域住民の同意は要件とされていなかったが、急傾斜地崩壊危険区域として指定された場合には、強力な私権の制限が伴って農耕等が営むことができなくなり、また、防災工事の費用については地元民が負担しなければならなくなることもあり(同法二三条参照)、その指定や実施にあたっては、それらの者の理解を得ることが望ましいとされていたため、被告県としては、その趣旨を徹底し、それらの者の同意がない限り、右指定ないし工事をしない運用としていた。

なお、防止工事の費用については、現実の運用は、急傾斜地法二一条、二三条、同法施行令四条に則り、国が四〇パーセント、県が五〇パーセント、その余を各市町村が負担し、各市町村は、原則として、その負担分の一部ないし全部を地域住民などの受益者に負担させることにしていた。

(四) 被告県は、昭和四七年七月、建設省事務次官から、急傾斜地の崩壊等による災害危険箇所の総点検を実施するように指示を受け、次いで、建設省河川局砂防部砂防課から、その具体的方法について、全国の都道府県の関係者が出席する説明会において、指示、説明を受けたが、その指示の要旨は、四七総点検実施要綱及び要領に沿って、航空写真及び五万分の一ないし二万五〇〇〇分の一の地形図により傾斜度三〇度以上、高さ五メートル以上、人家一戸以上の地帯を判読、拾い上げてそれを急傾斜地帯とし、そのうち、傾斜角が三〇度以上、人家五戸以上、高さ五メートル以上のものを抽出してそれを危険箇所として調査対象とした上、現地調査等して、傾斜度、長さ、高さ、オーバーハングの有無、地質、湧き水等の有無、崩壊の有無、地被物の状況、想定被害区域内の人家戸数、公共的建物の有無、公共施設の有無、他事業による地域指定の有無、急傾斜地崩壊危険区域の指定の有無、前回の調査の有無を検討し、それらを点数化して、危険度を判定し、危険な順にA、B、Cとランク付けするという内容であったが、その実施要領において、危険箇所として調査対象とする斜面の高さ及び幅の範囲を特に限定していなかったものの、災害が発生する斜面の平均的な高さは二〇から三〇メートルであって、五〇メートルを越える高さの斜面が崩壊するというのは僅か五パーセント程度に過ぎないという程度の知識だけは与えていた。また、その報告を建設省に提出する期限は、急傾斜地帯調査表、その位置図及び急傾斜地帯図(以下「急傾斜地帯関係資料」という。)が同年八月二〇日、急傾斜地崩壊危険箇所調査表、同集計表、管内図及び急傾斜地崩壊危険箇所図(以下「危険箇所関係資料」という。)が同年一〇月三一日とされた。

なお、この会議においては、出席都道府県関係者から、右のような短期間でこのように多岐にわたる調査をすることは、不可能であるという意見も出されたが、同課は、期限を厳守するよう指示した。

(五) 被告県は、これらの指示にしたがって、四七総点検を実施したものであるが、その調査を行うにあたっても、被告県としては、昭和四七年事務次官通達に記されているような箇所を自ら短期間にかつ正確に把握することが困難であったため、地域の事情の精通している県下各市町村に本調査の協力を要請して実施し、各市町村が調査をして危険箇所を報告するという方法をとった。

被告県は、昭和四七年八月一日、県庁で、市町村に対する説明会を開催し、静岡市を含めた出席市町村関係者に対し、右調査の実施方を依頼したが、その際、同関係者に、建設省河川局砂防部砂防課から指示された前記のような調査内容を伝え、同月一二日までに急傾斜地帯関係資料を、同年九月三〇日までに危険箇所関係資料を提出するよう指示した。

その際にも、静岡市を含めた出席市町村の関係者から、調査機関が短すぎ、指示に従ったような完全な調査は実施できないのではないかなどの疑義もあったが、被告県としては、本省からの指示であるので、手持のあらゆる資料を有効に活用して調査し、関係資料の提出期間を厳守するように指示した。

なお、被告県も、右調査にあたって具体的に急傾斜地の高さ及び幅を限定しなかったが、静岡市に対し、四七総点検実施要領及び要綱を交付し、災害が起こる斜面の平均的な高さは二〇から三〇メートルであること及び五〇メートルを越す高さの斜面崩壊は、僅か五パーセント程度に過ぎないことを教示した。

(六) 静岡市は、四七総点検実施要綱及び要領に沿って、五万分の一ないし二万五〇〇〇分の一の地形図により、傾斜度、高さ、人家戸数を調査して急傾斜地帯図を作成した。その結果、静岡市内には五三〇箇所の急傾斜地帯があり、本件斜面を含む井ノ宮地帯もその一つの地帯に該当することが判明した。

(七) そして、静岡市は、この地帯内から危険区域を選定するにあたり、前記被告県の指示に従い、急傾斜地の傾斜度、高さ及び想定被害区域内の人家戸数のほか過去に崩壊があったかどうか、崩壊の危険があるから善処してもらいたいなどという付近住民から要望があったかどうか等の徴表事実も加味して総合的に判断し、これを選定することとした。

(八) 静岡市の当時の担当職員であった土木課第一係長長島五郎(以下「長島係長」という。)及び奥川淳二は、井ノ宮地帯の調査全般について、現地調査をしたが、本件斜面については、直接踏査はしないで、賤機山の麓にある松源寺のあたりから目視したところ、なだらかな斜面であって、オーバーハング、湧き水及び崩壊跡等の調査対象となるような異常な状況は見られず、斜面に多くのみかんの木が植えられ、そのほとんどがみかん畑として耕作、管理されていた。なお、長島係長らは、前記の地形図に基づく調査及び目視の調査から、本件斜面の高さは一〇メートル以上、角度は四五度未満、表土の厚さは五〇センチメートル以上と判断した。

また、長島係長らは、本件斜面付近で農作業をしていた農家の婦人に、本件斜面にかつて山崩れや地割れがあったかどうかを尋ねたが、そのようなものはないという返答を受けたし、また、静岡市の場合は、部農会とか町内会という地元の組織があり、付近の斜面に地割れや地滑りがあれば、静岡市の土木関係の機関に連絡があるのが通例であるが、本件斜面については、そのような連絡は受けていなかったので現地踏査をする必要まではないと判断した。なお、このような調査・判断をした際、長島係長は、想定した本件斜面の崩壊の高さは麓から約二、三〇メートル、最高でも五〇メートルの範囲内であって、賤機山が山頂から崩れ落ちることは念頭においていなかったし、賤機山の山頂付近に本件リフトが設置されていることを考慮に入れても本件斜面が崩壊する危険があるとは考えていなかった。なお、この時点では、長島係長は、明治四三年、昭和四一年及び昭和四三年に本件柵板工土留などの崩壊があったことについてはよく知らなかったし、調査もしなかった。

そして、静岡市は、本件斜面を、右調査によって、危険箇所ではないと判断し、被告県にも、その旨報告したものであるが、その主たる根拠は、本件斜面は、自然斜面と異なり、みかん畑、茶畑として古くから農耕が営まれ、耕作者が、常時本件斜面に登り降りしながら農地として耕作、使用していたのであるから、万一、本件斜面に湧き水、亀裂や崩壊等の異常、危険な状態が発生すれば直ちにこれを認知、把握して、関係機関に通報し、善処を求めることができる等の事情があったこと、過去に異常な湧き水、亀裂や崩壊等が発生した等の記録及び耕作者からそのような事態の発生の通報もなかったこと、本件斜面下の居住者から賤機山の斜面が崩壊する危険があるから善処してもらいたいなどの要望などもなかったことによるものである。

(九) そこで、静岡市は、右調査の結果、井ノ宮地帯からは、井ノ宮、浅間山及び丸山の三箇所を危険箇所として選定したが、本件斜面については、危険箇所に選定せず、被告県に対し、急傾斜地崩壊危険区域として指定すべきであるとの報告上申などはしなかった。

(一〇) 被告県は、その後に、右昭和四七年の右調査に基づき、静岡市長に対し、市が調査箇所とした地域のうち、郷島他八箇所(本件斜面は含まない。)について急傾斜地崩壊危険区域として指定することについての意見を求める他、他に指定すべき区域がないか否かについての報告をもとめたが、静岡市からは、郷島他八箇所については地元民の了解を得る見込がないので指定を希望しないとの回答が返ってきたが、本件斜面を特に急傾斜地崩壊危険地域としての指定することを希望する旨の回答ないし上申はなかった。

(一一) そこで、被告県は、主として、静岡市の右調査に基づき、建設省に対し、調査した危険箇所とそのランク付けを報告したが、本件斜面については危険箇所として判断せず、建設省に対しても危険箇所に該当する旨の報告をせず、急傾斜地崩壊危険区域にも指定しないこととした。もっとも、被告県がこのような判断をした際、静岡市から提出された調査結果を書類上再確認する程度であって、被告県としては現地調査等独自の調査はしていなかったが、それは、主として県下に多数の危険箇所が点在していたことと時間的な制約があることによるものであった。なお、被告県は、県下の各市町村の調査の結果、危険箇所に該当するものとして報告を受けた箇所の中からAランクに該当する箇所を中心に緊急度の高い箇所について市町村の意見を聞き、かつ、斜面所有者及び斜面下の住民の同意を得たうえ、急傾斜地崩壊危険区域として指定し、崩壊を防止するために必要な工事等を実施した。

(一二) なお、被告県は、昭和五〇年二月、本件斜面については、急傾斜地崩壊危険区域に指定し、その後本件斜面に防災工事を施行したが、この際、本件斜面で耕作をしている地権者ないし本件斜面下の住民等の同意をえることができず、また、補償等の具体的な要求もあったため、静岡市において、昭和四九年七月ころから同年一二月ころにかけて何度も説明会を開いて説得にあたった結果、一部の地権者に補償をするほか受益者の負担分をなくして静岡市がそれを全額負担することなどの条件の下に同意を得たので、急傾斜地崩壊危険区域に指定したうえ、防災工事を実施したものである。

六被告県の責任

1  急傾斜地法上の権限不行使の違法

急傾斜地法によれば、県知事は、急傾斜地の崩壊による災害防止のため、崩壊のおそれのある急傾斜地を急傾斜地崩壊危険区域として指定し急傾斜地の崩壊防止に必要な措置を講じる等の権限を有するものというべきところ、右権限の行使ないし不行使は、原則として県知事の自由裁量に委ねられていると解されるが、急傾斜地法の目的は、急傾斜地の崩壊による災害から住民の生命身体等を保護するため、県知事に対して右のような権限を与えているのであるから、その権限の不行使が著しく合理性を欠く場合、換言すれば、①急傾斜地の崩壊によって住民の生命、身体及び財産に対する法益侵害の具体的な危険が切迫し、かつ、県知事においてこれを予見することが可能であること、②県知事が、その権限を行使することによって、右のような危険ないし法益侵害を避けるとができ、かつ、当権限を行使することが可能であること、③住民自らが急傾斜地の崩壊による法益侵害の発生を防止することが困難であって、県知事に右権限の行使を期待せざるを得ないという事情があること、以上のような要件が充足する場合であるのにかかわらず、県知事が右権限を行使しないときは、裁量権の不行使が著しく不合理なものとして違法と評価されることを免れないものと解するのが相当である。

2 被告県の責任

(一)  ところで、本件斜面の崩壊は、本件リフトの瑕疵による上部斜面の崩壊と集中豪雨による中下部斜面の崩壊という複合原因によって発生したものであること前認定のとおりであるが、本件斜面の崩壊の具体的危険が切迫し、かつ、これを予見することが可能であったか否かを判断するにあたっては、本件斜面のような崩壊については、そのメカニズムが未だ科学的に十分解明されているものではなく、また、その具体的な崩壊原因を特定して崩壊するおそれのある急傾斜地であるか否かを判断ないし予見するためには、ボウリング検査等によって本件斜面の地質、土質、地下水の状況等を精密に調査をすることが必要不可欠となるところ、被告県知事の調査の対象となる急傾斜地は、県下に多数存在し、それらの急傾斜地のすべてについて右のような精密な調査をすることは、技術的にはもとより、時間上ないし予算上の制約から到底不可能であることは経験則上明らかであるから、崩壊のおそれを科学的な調査に基づいて、時期、場所、規模等を具体的に予知、予見することまで必要ではなく、本件斜面の地形、地質と斜面崩壊に関する統計等の資料により判断するのが、相当であり、かつ、それで足りると解すべきである。

もっとも、右のような統計等の資料による判断は、その性質上、概括的なものであり、不確定的な要素が内在するものであるため、危険度の判断も自ずと一義的なものではなく、誤差の生ずるおそれもあるから、本件斜面の崩壊の具体的危険の切迫があったとするためには、斜面崩壊の徴表とされる高さ、傾斜度、オーバーハング、表土の厚さ、湧水、周辺の崩壊など各要素を相当程度満たし、それらの要素を考慮すれば明らかに本件斜面が崩壊する危険が著しく高いと判断することが、経験則上、一般的、合理的であることが必要であり、また、その危険の切迫について予見が可能であるというためには、右崩壊の徴表とされる各要素について、県知事が現に知っていたか、あるいは諸般の状況の下において、右各要素を経験則上知り得ることができたことが必要であると解するのが相当である。

(二)(1)  そこで、以上の見地に立って、これを本件についてみるに、まず、四七総点検以前においては、未だ、斜面崩壊についての研究も十分ではなく、斜面崩壊の危険を判定するための統計的、客観的な基準が確立していたとか、被告県知事において本件斜面の崩壊の危険を知りあるいは知り得べきであったと認め、推認し得るに足りる証拠、ないし事情はないから、その時点で、被告県知事において、本件斜面の崩壊の危険を予知して本件斜面を急傾斜地崩壊危険区域に指定し、右指定を前提として本件斜面の崩壊を防止するための措置をとるべき義務があったと解することはできないというべきである。

次に、四七年総点検の時点についてみるに、被告県知事の委任を受けて静岡市が実施した調査方法は、前記認定のとおりであるところ、その調査方法は、危険箇所の選定方法、危険箇所の危険度判定のための調査方法、危険度判定の基準及びその判断の過程において四七総点検の実施要綱及び要領が定めるところに必ずしも則っていないところがあるが、そもそも、右通達は、その性質上、建設省の被告県知事に対する行政の指針ないし指導にすぎない上、本件においては、被告県知事から委託を受けた静岡市としては、調査対象を斜面崩壊の大部分を占める五〇メートルより低い範囲に限定しながら、前記認定のとおり本件斜面全体が見渡せる場所まで赴き、その外観を目視して、本件斜面に異常のないことを確認し、地元民からかつて本件斜面に崩壊があったかあるいは崩壊の危険があるかなどの事情聴取も一応済ませたほか、本件斜面は現に農地として古くから耕作管理されているにもかかわらず、かつて、耕作者から本件斜面に異常がある旨の通報等がなく、崩壊する危険がないと判断したものであること前認定のとおりであるから、右のような調査は現地踏査を実施しなかったとしても、被告県知事において、静岡市の誤った調査を鵜呑みにしたとか、その裁量権を逸脱した明らかに不合理、不十分な調査であったとまで断定することは困難であるといわざるを得ない。そして、右のような調査で、確認、取得した知識・状況を前提とした場合、本件斜面が崩壊する危険が著しく高いと判断することができず、したがって、被告県知事には本件斜面崩壊の具体的危険性を予見する可能性があったとはいえないといわなければならない。

(2)  もっとも、被告県知事の本件斜面崩壊の予見可能性を考える場合に、昭和四七年事務次官通達ないし昭和四七年総点検実施要綱及び要領に則った調査方法を採用して調査したことを前提としても、本件斜面の上部に設置されていた本件リフトが急傾斜地法の適用対象から除外されていることから本件斜面を自然斜面であると認定、判断したとしても、それを過誤であるとまではいえないのみならず、明治四三年の崩壊事例は、余りにも古く、資料的価値に乏しいこと、昭和四一年及び昭和四三年の崩壊事例は、その崩壊場所が本件斜面の上部に設置されていた本件リフト施設の崩壊と密接に関連した崩壊であって、本件斜面の中下部が豪雨などによって崩壊したものではないことから危険度判定においてその基準所定の崩壊に該当しないとする判断も十分なりたちうる余地があり、また、本件斜面の危険度を危険度判定基準によって判定したとしても、その危険度は八点(高さ一〇メートル以上七点、崩土の厚さ五〇センチメートル以上一点)であって、更に崖の上に奥行一〇メートル以上の平坦地があり、そこに湧水等が認められるとすれば、その危険度は九点であって辛うじてAランクということになるが、急傾斜地法の現実の適用において、Aランクのものをすべて直ちに急傾斜地崩壊危険区域として指定していたわけではなく、その中から緊急性の高い地域を選定し、その地域の住民の意向も考慮しながら順次指定し、崩壊防止のために必要な措置を講じていたこと前認定のとおりであるから、被告県知事が、本件斜面が崩壊する危険が著しく高い区域であると判断せず、本件斜面を急傾斜地危険区域として指定しなかったことが明らかに不合理であるとまではいえず、被告県知事にとって本件斜面の崩壊の危険性を予見することが可能であったと判断することはでき難いといわざるを得ない。

(三)  以上認定、判断したところによると、本件斜面には崩壊の具体的危険性があったとまで認められず、被告県知事にとってもそれを予見することが困難であったというべきであるから、被告県知事において、本件斜面を急傾斜地崩壊危険区域として指定せず、その指定を前提として崩壊を防止するために必要な措置やその崩壊に対しての警戒避難体制を整備する等の措置を講じなかったとしても、急傾斜地法所定の権限の不行使が著しく合理性を欠くものであったとはいい難く、これをもって違法と判断することはできないというほかない。

七結語

したがって、原告らの被告県に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものというべく、これを棄却すべきものである。

第三結論

以上の次第であるから、原告らの被告会社に対する請求は、前記認定の限度において理由があるからこれを正当として認容するが、被告会社に対するその余の請求及び被告県に対する請求は、いずれも理由がないからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官小林登美子 裁判官水野有子は、差し支えにつき、署名捺印することができない。裁判長裁判官塩崎勤)

別紙認容金額目録

(原告) (認容金額)

水谷知生 七三七万七八二六円

水谷奈穂美 六四九万〇八一五円

水谷夕佳里 六四九万〇八一五円

天野やよい 六七一万一三〇四円

天野裕子 一五二四万三五八五円

天野恭志 四二七万一〇〇九円

岡村萬吉 二八九万六八二〇円

大村巖 一五七万三四一〇円

久住呂明子 七八万六七〇五円

大村宏之 七八万六七〇五円

岡村邦彦 一六七万三四一〇円

楊井厚子 一四七万三四一〇円

橋本臣尉 六二二万六二五〇円

別紙

請求金額目録

原告

請求金額

水谷 知生

三〇六一万九三九一円

水谷 奈穂美

三一九五万六五〇〇円

水谷 夕佳里

三一九五万六五〇〇円

天野 やよい

三二五九万二二二〇円

天野 裕子

七〇九四万四二六〇円

天野 恭志

二〇八二万九二一九円

岡村 萬吉

六三七万一八〇三円

大村 巖

三四〇万五九〇一円

久住呂 明子

一七〇万二九五〇円

大村 宏之

一七〇万二九五〇円

岡村 邦彦

三六二万五九〇一円

楊井 厚子

三一八万五九〇一円

橋本 臣尉

一三五六万七一八〇円

(計算上金額が一円未満である時は、その全額を切り捨てる。)

別紙

行政の指導監督一欄表

日付

番号

発信者

標目

要旨

四四・八・四

河政発六四号

事務次官

急傾斜地法の施行について

法の適用を迅速かつ円滑に行なうよう特に留意されたい。

区域指定にあたっては、都道府県営工事を行なうことが予定される区域だけでなく別途通達する基準に従い緊急なものから可及的すみやかに行なわれたい。

四四・八・五

河砂発五六号

河川局砂防部長

急傾斜地の再調査について

急傾斜地対策の基礎資料とするために人家五戸以上に被害の生ずるおそれのある急傾斜地の再調査をされたい。

四四・八・二五

河砂発五四号

河川局長

急傾斜地崩壊危険区域の指定について

急傾斜地崩壊危険区域の指定については、都道府県営工事を施行したもの、施行中のもの、施行予定のもの、災害を受けたもの、危険度の高いもの、又は、危害が生ずるおそれのある人家戸数の多いもの等を考慮のうえ、緊要なものからすみやかに指定されたい。

指定基準

一、高さ五メートル以上

二、危害が生ずるおそれのある人家が五戸以上あるもの

四四・八・二五

河政発七一号河砂発六一号

河川局水政課長

急傾斜地法の運用について

急傾斜地法の運用については、関連行政機関と協議のうえ遺憾のないように取り扱われたい。

四四・九・一

河砂発六七号

河川局砂防部長

急傾斜地崩壊危険区域の指定の促進について

今後台風等による災害の発生も予想されるので、すみやかに調査等を終了し、指定を促進し、災害の防止のために特段の配慮をお願いする。

四四・九・一八

河砂発七三号

砂防課長

右同

台風期に当り災害も充分予測されるので、最緊要なものについては災害の発生前に指定ができるよう特段の配慮をお願いする。

四六・一〇・一四

河砂発八〇号

河川局砂防課長

急傾斜地崩壊危険箇所の総点検について

最近の災害の発生状況にかんがみ特に、人家五戸未満の箇所においても人命の損傷を伴う災害が多発しているので、人家五戸未満の箇所も含めて総点検、実態調査をされたい。

四七・七・一一

河砂発四五号

事務次官

急傾斜地の崩壊等による災害危険箇所の総点検の実施及び警戒避難体制の確立について

各地において、急傾斜地の崩壊等による災害が発生し、人命等の被害が顕著であるので、総点検を実施のうえ、警戒避難体制を確立し必要な箇所は、急傾斜地崩壊危険区域に指定されたい。

別紙

対照表

急傾斜地

傾斜度

斜面の高さ

人家戸数

井ノ宮字井ノ宮

三九度

二〇メートル

七〇戸

井ノ宮字浅間山

三九度

二〇メートル

三〇戸

井ノ宮字丸山

三一度

二二メートル

七〇戸

大岩字大岩西

三一度

一八メートル

四〇戸

大岩字大在家

四二度

二〇メートル

六〇戸

大岩字船原

三一度

一八メートル

三〇戸

本件急傾地

(丸山町)

四〇度

七八メートル

四五棟六六世帯

別紙

通達基準事項一覧表

昭和

四二年

四四年

四六年

四七年

概念

地帯

地帯

地帯

地帯

箇所

傾斜

三〇度以上

三〇度以上

三〇度以上

三〇度以上

三〇度以上

直高

五m以上

五m以上

五m以上

五m以上

五m以上

面積

1ha

急傾斜面隣接地域

急傾斜面隣接地域

小字単位調査

一連の急傾斜地

人家

五戸以上

五戸以上

五戸未満

一戸以上

五戸以上

別紙

本件斜面及び本件八箇所崩壊規模一覧表

斜面

高さ(m)

勾配(度)

延長(m)

幅(m)

面積(m2)

本件斜面南側崩壊部分

62

29

126

19

2394

本件斜面北側崩壊部分

80

34

143

28

4004

宮ヶ崎町102-1番地

22

44

31

23

713

丸山町1308番地

小規な浅い滑り

井の宮269番地

43

33

79

9

711

大岩1228-1番地

92

33

167

24

4008(三筋)

大岩106番地

43

35

75

3

225

南496番地

38

34

69

10

690

南929番地

126

38

207

22

4554(二筋)

松富上組855番地

47

36

79

26

2054

別紙急傾斜地の調査

(a) 急傾斜地崩壊危険区域危険度判定基準

要因

点数

備考

自然斜面

人工斜面

1. 高さ

10m以上

10m未満

7

3

7

3

2. 傾斜度

45°以上

45°未満

1

0

1

0

3. オーバハング

3

0

3

0

4. 表土の厚さ

0.5m以上

0.5m以下

1

0

1

0

5. 湧水等

1

0

1

0

6. 周辺の崩壊

3

0

3

0

7. 急傾斜地崩壊防止工事の技術的基準

満足

不満足

0

3

8. 構造物の異常

3

0

(注) 人為的工事によって各要因による危険が消滅しているものについてはその要因をないものとし0点とする。

(b) 急傾斜地危険度採点区分

ランク

点数

備考

自然斜面

人工斜面

A

9点以上

15点以上

危険度 大

B

6点~8点

9点~14点

〃   中

C

5点以下

8点以下

〃   小

別紙

急傾斜地実態調査及び対策実施経過一覧表

S・61・4・3

調査実施年度

(対策  〃 )

調査結果

対策実施状況(箇所数)

全県

静岡市

指定

工事着手

工事概成

全県

静岡市

全県

静岡市

全県

静岡市

42年度

99

-

-

-

-

-

-

-

44年度

309

67

12

0

8

0

1

0

46年度

494

138

28

0

19

0

3

0

47年度

地帯

1372

199

-

-

-

-

-

-

箇所

1460

265

65

0

28

0

7

0

(48年度)

95

0

32

0

8

0

(49年度)

112

3

57

3

20

1

52年度

地帯

2188

203

-

-

-

-

-

-

箇所

2352

375

179

4

100

3

40

2

55年度

2429

531

283

39

206

21

105

14

56年度

2429

531

301

46

230

24

136

15

61年度

432

83

363

52

243

34

注1.対策実施状況欄の箇所数の数字は、累計である。

2.48年度及び49年度には調査は行なっていない、対策工事のみを実施したものである。61年度は調査中。

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